完璧になろうとすること
真実はあるのか? 全知全能の神はいるか?
このような考えを持つ時、私たちは完璧な存在に憧れます。自分は完璧ではないと思い、その欠如感を投影します。どこかに真実があるはずだとそれにすがりたくなります。
失敗をしない、間違わない、ミスをしないことは大事ですが、完璧であろうとすると大変です。いつも欠けている部分、正しくないと思える部分を見てしまいます。
ここがまだ足りない。ここが間違っている。ここが満たされていない。
向上心を持つのは大事です。自分の未熟さを知り、足りないところを補い、もっと良い状態を目指します。
が、完璧主義になると、できてないところを見て自分は未熟だと自己価値を下げてしまいがち。
この世のすべては移り変わっていきます。完璧なことなどありません。絶世の美女もそのうち年老います。オリンピックの世界新記録もそのうち更新されます。
「完璧にしなければ」と思うと動けなくなります。
「完璧」というのは一つの固定されたカタチです。固定化されたものを目指せば、自分の動きも固くなります。
「完璧にならなければ」と思うと、自分の至らないところ、未熟なところばかり見て、最高のパフォーマンスは出せなくなります。自分はもっとできるはずだという思いが良き原動力になればいいですが、緊張感を生み出しやすいです。そうなってない現実を否定しながらだとしんどいです。
その時のなりたい姿や状況は「ねばならない」「べきだ」になっていないでしょうか?
私はこうあるべきだ。これを達成しなければならない。
そうなると義務感が生じ、重苦しくなります。
「本当の自分はこうなのに」「これぐらいできなければいけない」と高い理想を抱きながら、そこに至らない自分を感じながら日々過ごしてしまうと、常にギャップを感じてしまいます。それは理想を達成した自分よりも今の自分を強く感じているから起こります。
理想ばかり見ず、現状を把握する
そういう場合はいったん今の自分や状況をしっかりと受け入れましょう。理想の自分ばかりを見るのではなく、今のまだそこに至らない自分を認めましょう。理想の自分や完璧な自分と今の自分とのギャップに苦しんでしまうのは、現状の自分を認めてないから、受け入れてないからです。
今の自分は無力だ。どうしようもない。
やりたいと思っていることはここまでしかできてない。
まだ人生、路頭に迷っている。
人の役にも立てずに自分のことばかり悩んでいる。
しかしそこに批判や判断は入れないように。これは一つの視点でしかないです。
今の自分を認めた後で、それは今の自分の状況確認とします。それとは切り離して自分のゴールを見定めましょう。
未来の自分から見たら今の自分が至らないのは当然です。未来のゴールを設定するから、今の自分がゴールに引っ張られていきます。自分に必要なことはその道中で現れます。
ゲーム感覚で楽しみながら進もう
ゲーム感覚で進みましょう。ゴール到達に必要なアイテムや人を集めたり、冒険に出たり。そのプロセスの中で自分が変化していけばいいのです。
ゲームは前に進み続けます。達成目標に向けて、今起こることに対応しながら進み続けます。それが楽しいからゲームをします。できることばかりをしていては面白くありません。新しい挑戦をすることでレベルアップしていきます。
これで完璧だ、ゴール達成だ!と思ったところにたどり着くと、それはまだほんの一角でしかないちっぽけな到達点であることに気づきます。そしてもっと大きな世界が見えてきます。
大事なのは、完璧になることではなく、成長し続けること。
自分の世界を広げ続けること。
それは完璧でないからこそできることです。
成長する余地があるということですから。
(pmb180826α)