『チ。ー地球の運動についてー』(魚豊)とゴール設定

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「本当は、君はもっと大きな”理念”で動いている。いや、動かされている。 いわば、君はその”理念”の召使だ。もっとも当の君自身は、その理念なんて念頭になく、自分とは無縁のモノだと思っているようだがね。まァしかし、人は元来自然にそれに憧れ、それを欲するように設計されているのだよ。 そして私は、それを求めるところこそが、人間の数少ない尊さであると考えている。」

「い、いったいさっきからなんの話を? ”大きな理念”て? 何に動かされているって言うんです?」

「それに答えるのは君だ。君が、心の底で憧れ、求めたものがある。それに気付きたまえ。」

この文章は、魚豊氏のマンガ『チ。ー地球の運動についてー』の第5巻に出てくる会話です。『チ。』はアニメにもなりました。

私はマンガで何度か読んでました。

天道説が信じられていた時代に、地動説を支持する者は断罪を受けるべき異端者でした。それでも真理に魅了された人々が命懸けでそれを継承していきます。信念を持つことについて考えさせられるマンガです。

この話を読みながら、コーチングでいうゴールについて思いました。
上記に載せた引用文は、本当のゴールはこういうものなんだろうなと思わせるものでした。

しかしそこに到達する人は数少ないです。
「心の底で憧れ、求めたもの」を大人になっても追う人は少なく、たいていは子供の頃に社会に適応するように矯正させられ、自分自身も「夢物語は卒業しなきゃ」とそこから離れていきます。

しかし大人になっても、心のどこかで「今の生き方は何か違う」とか、「本当にすべきことは他にある気がする」と感じる人は、自分の本心に耳を傾けたり、自分の中から湧き出る情熱に忠実になろうとします。

人によっては、自分が求めたわけでもないのに、その流れに巻き込まれていくこともあります。この漫画に出てくる登場人物にはそういう人が多いです。いつのまにか渦中にいて、自らがその方向に進んでしまうという流れ。

だから「いや、動かされている。 いわば、君はその”理念”の召使だ」となります。

それに向かう人は、頭がおかしいとか、異端とされます。そのサインがきていても、ほとんどの人は今の生活を選び、自分の真の欲求は見て見ぬフリをします。

この漫画の登場人物で、その信念を貫いた人たちは、殺されるとしてもみんな清々しく死んでいきます。天道説と地動説の背景にはキリスト教が関わっていて、人々の生き方や存在についての教えも含まれます。

「死んでから救われるはずなのに、みんな恐ろしい顔をして死んでいく」と雇われて人を殺していたある登場人物が言います。ところが、真理を見つけて、それを守り通して死んでいく人たちが安らかな顔で死んでいくのを目の当たりにし、とても驚き、常識となっている教えに疑問を持ちます。

”大きな理念”
これに動かされる者は怖いもの知らずです。
個人的欲求の達成ではなく、宇宙さえも変わりうる真理の探究と継承。

自分でなくても、誰かが引き継いで研究を完成してくれるだろうという思い。
その達成を自分が見ることなくても、やることに価値があるとして命を賭ける。
そんなものがある人は強いです。

これが歪んだ方向にいってしまうと、お金を吸い取る新興宗教やテロになってしまいます。

だんだんと時代が変わってきて、物質主義、金銭主義から精神的なことを求める傾向が強まってきています。これからは成功とは物理的な成功ではなく、精神や霊性の向上となっていくのが感じられます。

一般的にはコーチングによるゴールは外的な成功を求める人が多いように思いますが、これからは内的で崇高な目的がゴールになっていく人が増えるように思います。それがあって、外的に何をするのか?が決まっていくという順。

今までも突き詰めればそうだったかもしれませんが、自覚という意味では、やはり物理的に達成したいことが主流なのではないでしょうか?
こんな社会を作りたい、教育を変えたい、差別をなくしたい、オリンピックで優勝したい、etc.

悟りたいと思ってコーチングを受ける人はあまりいないように思いますが、精神性を高めるのにもコーチングはとても有効です。ただしコーチの質は問われます。