自分のことは見えにくい
「人のふり見て我がふり直せ」とは言いますが、人のことはわかりやすいですけど、自分のこととなるとてんで見えてません。
自分のことはわかっているようでわかっていません。
頭の上にメガネをかけながら、「メガネがない、ない」と探しているようなもの。他の人が見たら「頭の上だよ」とすぐにわかります。
「人は自分の鏡」といいます。
「あの人はああだこうだ」と言う時にはたいてい自分も同じことをやっています。
でも全然気づきません。これは本当にわかりづらい。人が「あなたはそうだよ」と言ってもきっと「何いってんの?この人」と意味不明に思ってしまいます。
人は自分の裏返し
「マジで同じことやってるんだ」と目からウロコが落ちる経験を何度か経れば、自分にはまだ全然見えてないけど、多分そうなんだろーなーと予測することはできます。
まわりの人があなたによく言うことは、あなたがあなた自身によく言っていることでしょうし、あなたが誰かに対して「あの人はこうだな」と思うことは、あなたも同じようにふるまっている可能性大です。
そんなところはないか?
と視点をぐるりと変えて、もう一度、客観的に状況をみてみましょう。
それでもなかなか自分ではわかりませんが。
人の中に自分を見ていることに気づく
こんなことを書きながら私もきっと同じことをしています。でも見えてない、わかってないんです。だから「私はそんなこと、やってない」と思いたくなります。
人に言ったことは自分にも当てはまらないか、よくよく省みる必要があります。
自分に関連して起こっていることはなにかしら自分の中にも火種があります。
むりやり意味づけをする必要はないですが、自分を振り返る材料として使うといいです。
まわりに不機嫌な人が多いなら、あなたもいつも不機嫌ではないか?
不機嫌になることに対して良くも悪くも何か強い思い入れがないか?
不機嫌になるのは悪いことだと思って作り笑いで対応して、心の中は不機嫌になっていないか?
あなたの親がいつも不機嫌だったのではないか?
など。
もし心当たりがあれば、自分の中のそれに気づいて変えていきましょう。
心が荒れていると、同じく荒れている人や出来事と出会います。
心の中に争いや葛藤が多ければ、あなたが見る世界でも争いや葛藤が多いでしょう。
心が安らかだと、出会う人も安らかです。
外に見ている世界は、自分の内なる世界が現れていると思って眺めましょう。
それが自分の望む世界になっているのか?
なっていればいいですが、そうでなければ、自分の心の中の世界を点検しましょう。
悦月(えつき)