エピソード7:アートによる自己セラピーと自己探求

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エピソード6はこちら

アート制作によるセラピー

一度、制作中に至福体験をしたことがあります。突然、理由なく、至福感に満ちあふれ、それがしばらく続きました。何か特別なことをしていたわけではなく、普通に作品制作をしてました。この頃はまだメンタル静養中でした。あの体験はこの時1回のみです。

クモ嫌いが直ったのも面白い体験でした。
その頃、ヒモを使った制作が多かったです。クモは大っ嫌いなのに、なぜ自分はクモみたいなことをしているんだろうと思ってました。ある作品で天井から紐をたくさん吊るして、そこに石膏をつける作業していました。するとその時に「あ、私、クモの気持ちがわかった」という瞬間がありました。その後、クモ嫌いがすっかり直りました。天敵とさえ思えたクモが、クモを理解したと感じたその時から怖くなくなり、天敵が神の使いに変身しました。面白いです。

寺山修司の『田園に死す』の原風景

不思議な話があります。
私の原風景には母の里と、寺山修司の映画『田園に死す』があります。

これは美大の大学院生になった時の話になります。

あるイメージがあり、それを作品にしようと試行錯誤してました。ある生徒から「寺山修司みたいだ」と言われたので、興味を持ってTUTAYAにビデオを借りに行きました。

その時に見つけたのが『田園に死す』でした。
そのパッケージにある写真の一つを見て思ったことが「この風景、知ってる」。

映画を見ると、ストーリーは全く覚えてませんが、映像で見覚えのあるシーンは何度かでてきました。

その生徒が言ったように、その映画とその頃、自分が作ろうとしていた作品がすごく似ていました。寺山修司と似た感性をもっていたのかもしれないですが、にしては似過ぎています。しかしこの映画を見た覚えはありませんし、言われるまでは寺山修司を知りませんでした。

誰かが子供の私を連れて映画館に観に行ったんだろうか?と思いますが、この映画は子供が観るような映画ではないし、田舎でこの映画が上映されることがあるだろうか?という疑問が湧きます。私の子供の頃はまだビデオもないし、テレビで観た可能性も薄いです。

真相は今もわかりませんが、どこかで観たに違いありません。

この映画は子供の私に強烈な印象を残したらしく、これも原風景だと感じます。

美術をやっていると、自然に自分の深層意識があらわれて自己セラピーになることがあります。

類感呪術アートで起きた惨状

制作を通してもう一つ強烈な出来事がありました。
これは日本に戻って数年経ち、非常勤講師をしていた頃の話です。

長くなるのではしょりますが、言ってみれば、類感呪術の類。

そういうアート作品を作ったことと、9.11の同時多発テロがシンクロし、テロの二日後に私が住んでいたアパートが類焼にあって一夜にして住めなくなり、、という惨事が起こりました。その他にもいろいろと不思議なシンクロが。

アートは、やり方によっては呪術的な要素も入りますが、気をつけたがいいと思いました。家一つ燃えましたから(苦笑)。と言っても、私が火を出したわけではなく、私は被害にあったわけですけど。

平穏無事で過ごしていた家を突然なくすのは、これで2回目です(1回目はロンドンの空き家にて。買い物から帰ったら、家が区役所によって封鎖されてた!)。さすがにへこみました。そして教訓もたくさん得ました。

エピソード8につづく

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