計画は立てたがいい?立てないがいい?
計画を立てる以前に、まずは、どうやって実現したらいいかわからないぐらい大きなゴールを持つことを強くお勧めします。そんな大きなゴールを設定しても達成の仕方がわからないと思うかもしれませんが、わからないぐらいがいいです。
ただゴールの臨場感はリアルに感じましょう。臨場感があれば、方法や道筋はだんだん見えてきます。
それを前提としての話ですが、
世の中には
1. 計画を立てその通りに進めることが好きな人
2. 計画を立ててもそのように進まない人
3. 計画をたてず、行き当たりばったりな人
といます。
どれがいいか?というよりは、自分に合った進め方ががベストです。
計画立てて進むとうまくいく人が、ランダムにいこうと思っても大変です。
ランダムで行き当たりばったりな人が計画を立ててもしんどくなります。
自分にあった進め方を見つけることが大事
私は計画を立てるけど、そのように進めない人です。料理はレシピ通りに作れません。材料や調味料が多少違ってもいいやんといい加減に作ってしまいます。結果、微妙に違うもの、あるいは全く違うものができあがってしまいます。
計画したとても、一生懸命立てた矢先から違うことしてたりします。
どうしても計画的にやらなければいけないのであれば、ちゃんと計画に沿って進むことができます。そうでないときは沿えません。「沿わない」ではなく「沿えない」です。脳になにか障害があるかもしれないと何度か真剣に考えたぐらいできないです。
しかしある日ふと思いついたことがあっという間に実行に移されることも。計画を立てても実行しないのに、ひらめいたらあっという間に計画&実行してたり。計画&実行できないわけではないけど、できないときは本当にできません。
長年、それが理解不能でしたが、これはその人のタイプによるものだとわかってきました。脳の不具合ではなく、生得的な脳の使い方や心理機能のタイプによるもののようです。
どこに自分のスイッチがあるのかがわかってくると、それに沿えばいいのだと見えてきます。
一般論で「こうしたがいい」という話は鵜呑みにしないほうがいいです。なぜならそれはその人がそうだったか、多くの人がそのタイプであるか、だからです。あなたが同類であればいいですが、違うタイプであれば、うまくいきません。
あなたがパワーを出せるやりかたを見つけ出すことが大事です。
人それぞれ、そのスイッチが違っています。
自分にやりやすいやり方を見つけましょう。
あなたは理性的?それとも直感的?
理性は計画性がありますが、直感は突然ひらめいたかのように感じます。
理性は一歩一歩着実ですが、直感は大きくジャンプします。
突然の変化を起こし、加速します。
その無謀さに挑戦するところに面白みを見出す人もいれば、先が見えていて着実に進むことで安定して力を発揮できる人もいます。前者は右脳的、後者は左脳的です。
とはいえ、やはり左脳、右脳両方をうまく活用したいですね。
右脳は全体的で、左脳は部分的です。右脳から降りてくる情報(ひらめき)を左脳がうまく処理できれば、アイデアを実現させることができます。
例えば、昔、私は手相を観ていました。
私の場合は、数をこなすほどに、学んだことから離れ、勝手に言葉が降りてくるようになりました。最初は学んだ知識をもとに手相を観ていましたが、手相を観ていくにつれて、全体的な情報をキャッチするようになりました。
右脳が全体的な情報をキャッチして、それを自動的に分析して左脳言語で話すようになったようです。右脳的なリーディングと言えます。
莫大な知識を駆使することによって的確な鑑定をする人もいます。論理思考やデータをもとに解析することが得意な人は知識と経験というデータから論理的に導き出すことができます。
これはその人の特質によるものであって、自分に合ってないやり方をすれば、うまくいきません。
私が知識を駆使して観ようとしても、まず膨大な知識を覚えきれないし、頭で分類分析して処理しきれません。なので、その代わりにエネルギーを読み取る力を手に入れたわけです。
あとから考えると、手の形がこうで、運命線がこうで、頭脳戦がこうだから、こういうことを言ったんだろうとわかりますが、それを話している最中はわかりません。ただ思いつくことをどんどんと話すだけです。
学んだことのないことまで話しながら、「なんでこんなこと言ってるんだろうな」と頭の中では思ってたりしました。でもなぜか「そうだ」という確信があります。
取り込む情報枠は学んだ知識にとどまらず、情報空間に広がる情報にまで及びます。
理性は理性的、論理的に考えます。できるかどうかわからないことに対してはしっかりと事前調査したり、仮設と検証を繰り返し、どうすれば可能になるか試します。
直感派の人は「あっ!」と突然ひらめきます。なぜそうしたらいいかはその時はわかりませんが、きっとうまくいくと思えたり、これはやったがいいと思います。
「できないかも?」から「できるかも?」へ
計画的にいくにせよ、ひらめきにせよ、実行に移さなければ何も起きません。いろんないいアイデアが閃いても、人に伝えたり、実行に移さなかったらそれは消えていきます。
「できない」と思ってしまえば、何も試さず、行動を起こしません。
「できるかも?」「やってみたい」と考えが変わったときに、初めて行動を起こします。
なので、何か思い浮かんだら、”できる可能性” を探りましょう。計画を立てようが、直感で進もうが、行動に移さなければ何も起こりません。
アイデアが出た時、現実化はむずかしいと思ったとしても、まずは
「できるかも?」
「もしできたら?」
と想像を膨らませましょう。
そうすることで、スコトーマがはずれやすくなります。
多くの人が子供の頃から
「ちゃんとしなさい」
「あんたにはムリ」
「そんなことやめときなさい」
と何度となく言われて育ちます。
子供は無邪気です。
お医者さんになりたい
サッカー選手になりたい
YouTuberになりたい
とそのまま夢を話します。
まわりの大人がそれを受け取れる人たちであればいいのですが、「そんなバカなこと言ってないで」みたいなことを言われ続けていたら、そのうち「夢を語ると怒られる」「やりたいことをするのはよくないことだ」と思うようになります。
子供の頃、やりたいこと、好きなことに対していちいち親からダメだし食らっていたとしたら、好きなことをしてはいけないのだと思って、それらに目を向けないようにしてします。
スコトーマになって見えなくなっています。
そうなると目の前にあっても気づきません。
やりたいこと、好きなことを何か特別なことだと思っている場合も気づきません。
食後にコーヒーを飲むのだって、やりたいこと、好きなことです。
みんな普段から、やりたいこと、好きなことをしています。が、自分ではそのように認識していないこともあります。
もしあなたが恵まれた環境で、なにに対しても「やってみたら?」と応援してもらえて育ったとしたら、のびのびといろんなことに挑戦できるでしょう。
できるかどうかはやってみないとわからない
自分のことを考えてみて下さい。
あなたが「できないと」思っていること。
今までやったことないのに「できない」と思っているとしたら、それって本当ですか?って話です。
だって、やったことないんでしょ?
なのになぜ「うまくいかない」と言い切れますか? その根拠はなんですか?
「やってもうまくいかないよ」と言ってくれるまわりの人たちもまた、それをやったことがない人たちばかりでしょう。だったらなぜ、あなたがうまくいかないとわかるのでしょう?
過去のデータは過去のデータですから、未来もそうなるとは限りません。
参考にしたとしても決定打ではありません。
それに従うよりは、どうせなら、「やってみないとわからない」
うまくいくかもしれないし、うまくいかないかもしれない。でも、やってみよう。
そう思いたいですね。
もしそう思えたら、その時に重要視しているのは「うまくいくこと」ではありません。
「やってみること」です。
つまり、やってみてどうなのか?を知るためにやる、ということです。
うまくやるためにやるわけではありません。
やってみて、うまくいかなくても、それは失敗や無駄なことをしたわけではなく、「何か新しい体験を試みた」という進歩です。
そして「やってみてこうだった」という情報を手に入れることができ、それを改善することが
できます。
結果よりも、やってみることに重きをおけるようになると行動しやすくなります。
自分を振り返ってみてください。
あなたが「できたらいいな」と思いながらもやろうとしていないことはなんですか?
それを「もしできたら?」「もしかしてできるかも?」と視点を変えてみましょう。
「『できるかも?』にしたら、しなくちゃいけないの?」と不安になる人がいます。
いえいえ、だいじょうぶです。今はまだ「できるかも?」と思うだけで、実行してもしなくてもいいです。
「やってもやらなくてもいいけど、やったらできるかもな」ぐらいの気楽さでいいです。
「できるはずがない」と思って過ごすのと、「できるかも?」と思って過ごすのとでは、そのあとが違ってきます。
まずはちょっとだけ考えを変えてみましょう。
今日、なにかひとつ、「できない」と思っていることを「できるかも?」「もしできたら?」
に変えてみましょう。
何でもいいですよ。
まずは思うだけ。
やってもやらなくてもいいけど、やったらできるかもな〜。
どんなことがありますか?
自分に制限をかけずに考えてみましょう。
「できるんだったらやってみたいなー」と思うことを書き出してみましょう。
悦月(えつき)