自信がある人は「自信」について考えない
自信なんていらない。
自信、自身、地震。
呼び方が同じなのは何か意味があるのでしょう。
自身は、自分自身。
地震は、大地という、私たちが乗っかっている土台が揺れること。
飛行機に乗ったり、水中にいない限りは、私たちの足元には大地があります。
重力もありますから、地に足がついているのは当たり前だと思っています。
毎朝起きたら、下に地面(床)があります。
それに疑問を感じる人はほとんどいません。
地震はその当たり前になっているものが揺らぎますから、不安を感じます。
自信がある人は、自分は「自信がある」といちいち考えていません。
つまり、足元に普通に大地がある状態と同じ。
自信があるから当たり前にできる。
当たり前だから自信があるけど、当たり前すぎて「自信がある」とは言わない。
その自信が揺らぐ時に、私たちは「自信がない」と言います。
例えば、毎日歯磨きをすることや、服を着ることに対して、私たちは「自信がある」とは言いません。もう習慣化されてますから、できると知っています。
なので、
「私は毎日歯磨きをする自信があります」
「服を着る自信があります」
とは言いません。
でもできる自信はありますよね。
当たり前にできることに対しては、いちいち自信について言及しません。
ということは、
「うまくできるかどうか確信がない」
と感じる時に、自信について考えるわけです。
自信がある時は、できることがわかっているから普通にやります。
「自信がない」は「やらないための言い訳」
自信がない時は、
自信がないからやりたくない、
自信がないからできない、
といって、やたら「自信がない」ことを強調するというか、気にします。
いってみれば、
「自信がない」は「やらないための言い訳」
として登場しています。
それが「自信がない」と言う時。
自信がない時に限って、自信について考えるのなら、最初っから考えなければいいです。自信がある時は、自信について考えないのですから。
そうすれば、結果があまり気にならなくなります。
「自信がないからできない」
「自信をつけなくてはいけない」
と思う時は、失敗を恐れています。
だから自信が必要だと思います。
しかし何かをする時に自信は必要ありません。
自信を持つことより、まずはやってみることの方が大事です。
そうすることで自信がついてきます。
悦月(えつき)