セルフイメージが作り出す未来

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あなたはどの立ち位置にいるのか?

美内すずえ氏のマンガ『ガラスの仮面』に、このような話がありました。

オーディションがあり、数人の候補者がいます。その中には主人公の北島マヤも入っています。「ビートの良い音楽に合わせなんでもよいのでやる」というお題が出ました。

ほとんどの候補者が、自分の得意のダンスを踊りました。北島マヤは、音楽に合わせてペンキを塗るパントマイムの寸劇をしました。

審査員が「なぜこれをやろうと思ったのかね?」と聞いたところ、「あたし、ダンスってあまりやったことないし…これなら観る人に楽しんでもらえると思って…」と答えます。

それを立ち聞きしていた候補者は驚き、審査員も感心しました。
立ち聞きしていた候補者は思います。

「観る人に楽しんでもらえると思ってですって…!? わたし達が、審査員の前でうまくやろうと、そればかり意識しているのにくらべ、なんて子…!わたし達とまるっきり意識がちがう……!役者なんだわ、この子….! こんな審査の場でさえ…!」と驚きます。

自分の”前提”を確認しよう

ここでわたしが言いたいのは、立っているステージの違い。

他のオーディション候補者は、自分がオーディションに受かることを願い、審査員の前でうまくやろうと思っています。ところが、北島マヤは、「観る人に楽しんでもらえる」ことを思い描いています。

つまり、他の候補者は、役者ではなく、「オーディションを受ける者」としてそこにいたのに対し、北島マヤは一人の「役者」としてそこにいたのです。
だから「わたし達とまるっきり意識がちがう……!役者なんだわ、この子….! 」という言葉が他の候補者から出たわけです。

「オーディションを受ける者」として臨むのと、「役者」としてそこにいるのとでは、立ち位置が全然違います。

「オーディションを受ける」という意識のまま、演技に臨めば、その時のアイデンティティは、「オーディションを受けている/に受かりたい私」であり、「オーディションに受かっていない私」が演じている状態です。

ところが、「役者」としてそこにいるのであれば、その役を演じている、その役になりきっている状態です。役者は演じるのが仕事です。役者としてそこにいるので、「観る人に楽しんでもらう」ことを考えます。オーディションに受かるかどうかは消え失せ、役者としてそこにある、、、そこですでに演技に臨む意識が違います。

他の候補者は「私」が主体であったのに対し、北島マヤは「役者」の視点に立っていました。

あなたは何者か?

インプットとアウトプットの話でよく言われますが、学ぶ側である限り、学び続けますが、アウトプットしない限り、知識は増えても身につきません。
学びながら、それを人に伝えるというアウトプットをしているのであれば、自分の理解と言葉で噛み砕いて伝えるので、自分のものになっていきます。

学ぶ側にいる限りはあくまで学ぶ姿勢で学び続けますが、ノウハウコレクターとなっていきやすいです。伝える側に立ちながら学ぶのであれば、実践者となっていきます。

自分がどういう立ち位置で物事に接するかによって、受け取る情報も、できることも変わってきます。