自然は豊かになるようになっている
「自然は豊かになるようになっている」と何かの本で読みましたが、うちの庭を見るたびに本当にそうだなと思います。
うちの庭は畑がわりに使ってます。普通に野菜を植えるというより、グータラな私は、できれば自然に生えてきてくれたらと思っています。なので、少しずつ自然に生えてくるように育てて(放置して?)います。
おかげで植えて育って種を落として、勝手に生えるものが年々増えてきました。
まさに自然栽培です。半ほったらかしで育っているので。
植物は一本からたくさんの種が採れます。
普通に考えれば、増えて当然です。
ひまわりの種を考えてみればいいでしょう。一つの種から何百と種ができます。それが全部芽を出すわけではないですが、種を落として増えていく仕組みです。
稲も一粒の米からたわわになって何十粒も実ります。
不作の時は一気に減ってしまいますが、そうでなければ、増える一方です。増えすぎてしまうものもあれば、うまくいかずなくなるものもあります。
地球ができてからは相当長いスパンですが、岩だらけなところから大地が整い、生物が進化して、今の状態に至っています。
人間も本来、自然の産物です。
自然な状態であれば豊かになるのでしょう。
一個の精子が卵子と受精して、あなたが今存在していることを考えてみても、手足、目鼻ができて、人間の形になって動けるようになっています。かなり豊かになったと言えますね。
何を持って豊かだと思うのか?
「豊かさ」の定義は何?って話ですが、自然界で言えば、繁栄する、子孫を残すというところになるでしょうか?
人間界では子供が多ければ豊かか?というとそうでもないですね。
人によって豊かさの定義が違っています。
不便なく過ごせるのを豊かさと言う人もいれば、人とのつながりが財産だという人もいれば、やりたいことができることが豊かさだという人もいます。
今の社会で自然のままで過ごすことは難しいです。
生活自体がもう自然ではなくなっているので。
今は人間が自然のバランスを壊しているので、豊かになるどころか、危うい状態になってきています。地球にとって、というより、人間にとって。
地球はまた何億年という年月をかけてでも豊かさに向かっていきます。
豊かさとは何か?
「裸になって狩に行け」という話ではなく、ストレスなく心豊かに過ごしていますか? 物質的豊かさに埋もれて、自然と離れてしまっていませんか? ということです。
何が豊かさか?というと、やっぱり心が豊かなことではないでしょうか?
じゃあ、心が豊かってどういうこと?
ポジティブだとか、愛情深いとか、いろんなことを知っているとかではなく、豊かだ、幸せだと思える心、感謝の気持ちが自然と湧いてくる心があること。
人にとっての豊かさはそんなところから始まるのではないでしょうか?
なんでも思い通りになることが豊かさではありません。
「思い通りになるとはかぎらない」というのも自然な現象です。
それをどうにかしたいと思うのが人の常です。
どうにかしたいと思うことがすべてどうにかなるわけではありません。
それでもどうにかしようと思うところに進化発展があります。
生きるべくして生きる
自然は「豊かだな〜」とか思いません。
「豊かさとは何か?」と考えたりしません。
本当に自然な状態なら、そんなことすら考えずに、
ただ生きるべくして生きている
そんな感じがします。
ひまわりがひまわりとして生きる。
それはすごくシンプルなことで、ひまわりにとっては自明の理でしょう。
では、人が人として生きるとはどういうことでしょうか?
あなたがあなたとして生きるとしたら?
人間は余計なものが増えすぎて、そんなシンプルなことがわからなくなっています。
原点に戻る。
人とはなんぞや?
地球という星の今の時代に、人として生きるとはどういうことか?
哲学的に考えるというよりは、自分の生き方に落とし込んで考える人が一人でも多いといいのになあと思います。
悦月(えつき)