エピソード2:私だけが幸せでいてはいけない

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楽園から人間世界へ

幼少の頃は多分、めちゃくちゃ元気が良く、自分も世界も大好きな無邪気な子供だったと思います。その分、純粋で繊細だったのでしょう。

30代後半ぐらいになってやっと、自分はまわりの人の感じていることを敏感に察して、自分のものとして取り込んでいるということがわかってきました。

いわゆる「憑依体質」「エンパス 」ですね。ネガティブな思いを取り込みやすかったようです。自分のでない人のそれを自分のと勘違いして取り込むのですから、無駄にストレスが多かったんだなとあとになって気づきました。

まだ純粋無垢だった子供の私は、うれしさいっぱい好奇心いっぱいに世界を楽しんでいて、自分の好きに自由に振舞っていたと思います。が、ある時、まわりの人たちはそうじゃないということに気づいたらしいです。

これは大人になって、自分の内的問題に取り組んでいた時に頭に浮かんできたことなので、事実かどうかはわかりません。記憶は思い出すたびに捏造されますので、自分の都合のいいように解釈している可能性もあります。

まずは母親、そして兄、父、近所の人たち、、、。

私だけが幸せではいけない。まわりの人が幸せとは限らないから、気ままに振舞っていてはいけない。まわりに合わせなくてはと感じたようです。

ここで間違いを犯してしまいました。

「私もまわりの人たちに合わせなきゃ」と思ってしまったらしいのです。

つまり「私一人好きなように楽しくしていてはいけない。皆と同じようにふるまわなくては」と。

子供の頃からの人間不信感

「私がみんなを幸せにしよう」と思ったらよかったのですが、「みんなが幸せでないなら、私も幸せでいてはいけない」と自分を抑え、まわりに合わせる方向にいってしまったらしいのです。

大人への第一歩ですね(苦笑)

もしあなたが生きることに窮屈さを感じているのなら、あなたも同じことをしてしまったのかも?

私はきっとこのあたりから人間に対する不信感と違和感が増していったのだと思います。

「私が我慢すれば」と自分を犠牲にするのは、とくに一昔前の日本女性にありがちです。

「なんて思われるだろう?」とまわりを気にしながら、気を使いながら過ごしている人。

ストレス溜まりますよね。その緊張感が肩こりや冷え性や子宮筋腫、軽い鬱などに出ます。

人混みや人といると疲れやすい人や、まわりを気にしすぎる人、常にまわりに合わせようとする人は、無意識的にまわりの人の思いを取り込んで振り回されています。それを自分の性格や性分だと思って悩みます。

あなたのものでなく、外の影響を受けているのであれば、早くそれに気づいて、自分の気持ちと他人の気持ちの線引きができるようになったほうがいいです。「なんだ、これは私の気持ちじゃないのか」と気づくと、自分から切り離せて楽になります。

まわりを気にせず、影響を受けず、もっと自由に自分の好きなようにふるまえたらいいな~と思いませんか?

エピソード3につづく

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