自分を正当化するための作話に気づく

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作られた現実

私たちは限られた小さな世界に住んでいます。
気づいていない、気づけていないことがたくさんあります。

意識について学んだり、現実とは何か?を知れば知るほど、実に私たちは自分のいいように現実を捏造していることに気づきます。

「捏造」というと言い方が悪いですね。
「作話」というと、ピンとくるでしょうか?

本当にいいように事実を捻じ曲げています。

しかしながら困ったことに当人はまったく気づいていない。
当人だけでなく、まわりもたいてい気づいていません。

これはもちろん私にも言えます。今までの人生、私もかなり作話してたと今では思えます。今も無意識にしているでしょう。自分のことは見えにくいですから。

何をベースに現実を構築しているか?

理論派やデータ重視の人は既存の情報から現実を想定するので、作話の割合は減るかも知れません。

しかし、その仮説やベースとなる考えがそもそも間違っていれば、そこに積み上げられる理論も危うくなります。
想像力が欠けてしまうと、面白味も発展性もなくなります。

自分の感覚や感情、イメージ、直感などを重視する人は、主観的世界の幻想に陥りやすいです。自分の世界と外の世界は同じだと思い込んでいます。
頭ではその違いをわかったつもりでいても、勘違いの思い込みをして、その思い込みフィルターがかかったまま、外の世界を判断します。

内的世界を大切にしているから自分のことをよく知っている、というわけではありません。客観的な判断ができず、主観的な思い込みで突っ走ります。

主観的な人は自分の主観がベースとなり、その人の世界が構築されていき、客観的な情報ベースの人はその知識がベースとなってその人の世界が構築されていきます。

「現実A」から「現実B」へ

どちらも何かをベースに自分の世界を構築しています。知識、信念、思考パターン、ブリーフシステム、フレームなどと言われるものです。

そこに「現実A」を引き出すインプットをしていれば、そこから導き出されるアウトプットも「現実A」となります。その「現実A」の中で何をしようと、「現実A」の世界の中の話です。

大事なのは、「現実B」の存在に気付けるかどうか?

そこが自分の世界を広げるポイントです。

私たちは無意識に自分に都合のいいように現実を塗り替えます。

「自分の都合のいいように」とはいえ、その現実があなたにとって必ずしもいいこととはいえません。むしろ潜在意識の古いパターンに惑わされて墓穴を掘ります。自分で自分をはめてしまう状況を作り出します。

本当の自分を知りたいと言いながら、見たくない自分や嘘をついている自分、ごまかしている自分、弱い自分などが出てくるんじゃないか?

あるいは、「できる自分」が出てきたら、やらざるを得なくなるんじゃないか?

そんな不安から、現状のままでいることを選んでいたり、できないそぶりを見せたりするのはよくあることです。

人は自分を正当化したいものです。人間の想像力はできたもので、自分を正当化するために無意識に作話をします。それを続けていると、それを本当だと思い込んでしまいます。

自分が思う自分と、人から見る自分が違うのは、そういうところも反映しているのでしょう。

どうせ作話するなら、今の自分を正当化するためより、ゴールを達成するために作話したいですね。いい風に作話して行動していけば、現実もそのようになっていきます。

作られたセルフイメージ

セルフイメージも、相当自分に都合よく作話されてます。自分でそうしているのにそれに気づかず(あるいは気づいても知らん顔する)、あたかもそのことに悩んでいるそぶりを見せます。

実際、本人はすごく悩んでいたりします。

でも、子供が「嫌だー、したくない!」とめっちゃ駄々こねていたのに、「欲しかったあのおもちゃ買ってあげるよー」とかいうと、急に元気になって嬉々として、やりたくないと言っていたことを進んでやり始める。

そんな感じのことが大人にも起こります。

何かをするのに、なんだかんだと理由をつけてやらない人でも、やりたいことが見つかれば、急に活動的になります。
「さっきまでの話はなんだったの?」ということが起きます。

今の自分は「作話によってできあがっている人格」だと思ってみるといいです。

作られた自分を演じている自分。その違和感を感じているからこそ、人は本当の自分を探し求めるのかもしれません。

が、その求めている自分がこれまた本当に自分が求めているものでなく、世間によって作られた偶像の可能性もあります。

ラットレースしているようですね(笑)

本当の自分がわからない?

もしそう感じるなら、いっぺん全部捨ててみるといいでしょう。
自分らしさ、セルフイメージも。

自分にはできないとか、これが苦手だとか言っていても、やらざるを得ない状況ややりたい状況になれば、多くの人が驚くほどの行動力と能力を発揮します。

それほど私たちは自由自在な存在です。

とはいえ、なかなかそこまで自分を解き放てる人は少ないです。
そもそもそうなろうとしていないという現状があります。

ほとんど勘違い野郎です。
その勘違い野郎の魔法が解ければ、一瞬で変わります。

今日は「君もスーパーマンになれる!」という話ではなく、「自分に嘘ばっかついてんじゃねえよ」という話でした。

「スーパーマンになりたくてもなれない」というのも、自分が作り出してる話。

「なりたくてもなれない」のではなく、本当になりたいと思っていないのではないか?

そこらへんを突き詰めていけると、まだまだ甘い自分に気づきます。
私も耳が痛いです。

自分では自分のことはわかりづらいです。
目が目を見ることができないように。

悦月

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