承認欲求による行動は虚しい
ここ数年は、SNSの広がりで、多くの人が改めて自分の承認欲求を認識した時期だったと思います。たくさんの「いいね!」やコメントがあるとうれしいものです。
しかしそれがないと落胆してしまったり、自信喪失してしまうのは、外部評価に自分を委ねているからです。
より多くの「いいね!」やコメントをもらおうと、わざとそれがもらえそうなことを書いたり。こんな人に会いました、こんなところに行きました、と人生楽しんでますよ感を出ししまくったり。
そういうことが好きでやっていたり、ビジネスのためにやっているならいいですが、それに疲れたり、そこで得る人の反応に浮きつ沈みつするのなら、承認欲求を求めてしていることなんでしょう。
自分の好きを追求していける人
世の中うまくできているもので、一方に大きく振れると必ず、逆向きに向かう人が現れてきます。
今は、人の承認は求めず、自分のやりたいことを淡々とやっていくことに喜びを見出す人が増えつつあるように思います。
人に振り回されない自分というか。
自分は自分のやりたいことする。
自分のやりたいことだから、人に承認してもらうが必要ない。
普通、趣味とかはそうですよね。
人に褒めてほしい、認めてほしいわけでなく、ただ自分が好きだから、興味あるから、やりたいからやっています。それを褒められたらうれしいけど、褒められたいからするわけではありません。
こういうものを持っている人は人生楽しいです。
人の評価や得られる結果とは関係なしに、やることが楽しい、知ることが面白いとそのプロセスを楽しめるもの。やっていること自体が楽しいこと。
好きでやっているので、人の評価は関係ありません。
あなたが本当に求めているものは?
趣味は多いけど、突き詰めたいものがない、何か一つ極めたい、と言う人がいます。
形を追ってしまうと、やれ生け花だ、囲碁だ、ヨガだといろいろと手を出して、どれも中途半端だ、、、となりがちです。
どれか一つに精を出せるなら、そこに何か見出したのでしょうが、そうでないなら、あなたが求めているものは、この3つに共通している何かなのでしょう。
外側の形にとらわれてしまうと、生け花、囲碁、ヨガは私が本当にしたいことではなかったとなってしまい、次は、手話、介護ケア、フラワーアレジメント…といろいろ手を出していきます。
あなたが本当に求めているもの、追求したいことは、それをやることによって得られる何か、です。
何に興味を見出して、そういうことをしているのか?
そこを探る方がいいです。
何をするかは関係なく、人と一緒にワイワイ過ごせるのが好きだから参加している、という人もいるでしょう。
点と点は、あとでつながる
点と点をつなげていく作業ですね。
つなげていくと一つの絵が出来上がっていきます。
一つ一つの点をバラバラに見ていては見えてきません。
最初は漠然としたつかみどころのないものかもしれません。
しかし時間をかけて自分を深掘りしていくと、自分が求めているものは、こういう感じことだとか、いつもこういうことに行き当たるというものが見えてきます。
またここか!というものがあれば、そこを掘り下げていきましょう。
そこを探っていくことで、だんだんとあなたは自分の核に近づいていきます。
外側の世界の利益とか結果とは関係ないところで、これは進みます。
全体図は、今自分が知っていることの範囲外だと思ったほうがいいでしょう。
今の自分は点しか見えてないのですから。
言い換えれば、利益や結果や外側の形にとらわれていたら、自分の本質は見えてこないということです。
悦月(えつき)