死の直前に思うこと
努力してもうまくいかないって思う時ってありますよね?
「人生順風満帆でうまくいかなかったことなんてない」という人もいますが、そういう人は実際は、苦を苦としていない場合が多いです。なんでも楽しんでしまいます。
最後には「いい経験をした」ともっていきます。
死ぬ時に「いい人生だったな〜」と思えたら、いい人生だと私は思います。
でもそれは死ぬ時までわかりません。
いい人生と思っていても、死の直前に 「もっといろんなことやっておけばよかった」と後悔してしまうかもしれません。
目を背けていた諸々の思いがどわーっと溢れ出て「しまったー」と思うかもしれません。
ツイてない人生だと思っていたけど、死が近づくにつれ、今まで気づかなかったいろんなことに気づき、ありがたい思いに満たされて逝ける人もいるでしょう。
死に様は生き様と言います。
今までどのように生きてきたかがリアルに見える時なんでしょうね。
しかしこの世に理不尽なこともたくさんあります。
どう考えても腑に落ちないこともあります。
それを自分の中でどう折り合いをつけていくのか?
それは一人一人が人生を歩みながら、自分で見つけていくことではないでしょうか?
無駄に努力していないか?
話を戻しましょう。
努力してもうまくかない時って、まだ開花する時期ではないのか、あるいは、努力の方向を間違っていることもあります。
無駄に頑張っているケースです。
そういう時ってたいてい自分を誤魔化しています。
本当の気持ちや本当にしたいことにフタをして、「〇〇しなきゃ」となっています。
理屈で考えています。
これをしたらうまくいくとか、自分の弱さを隠したり誤魔化すために一生懸命何かをしたり。
親に認められたいと、したくもない勉強を頑張るのもその一つですね。
無価値な自分になりたくないから、常に忙しくしたり、人に会ったりとかも。
そういう時の努力は、何かから逃れるための努力。
「努力」の「努」は、農奴が農耕のことに勤労することを言う、と白川静氏の「字統」に書かれています。
「努」は女、又、力。
又は手のこと。
女子を捕らえる形で、これを不自由化して奴隷とする。
「奴」は奴隷、召使。
となると、努力は奴隷の力。強制的に何かを頑張る時に出す力と思っていいのではないでしょうか?
となると、
そりゃ、うまくいかないでしょ?
無理やりやっているのだから。
うまくいってもしんどいだけかも。
楽しくないですよね。
純粋に物事を楽しもう
本当にやりたいことや好きなことをしているときは、側からは努力しているように見えて、努力してません。
やりたいからやっています。
没頭しているときは我を忘れています。
好きなこと、やりたいことがわからないんです…。
という人が、好きなことを見つけよう、いい人生を歩もうと努力したとしても、きっと選択範囲を選んでしまっています。
例えば、お金になる仕事とか、人の賞賛が得られることとか。
努力をやめて自然のままに過ごそうとなった時、ふと、風のさわやかさや食べることの楽しさなどに気づきます。
いい人生にしたい、自分を活かしたい、と思うのは素敵なことです。
けれどもそれに縛られてしまえば、純粋に物事を楽しむことを忘れてしまい、本当にしたいことから離れてしまいます。
そこには、人と比べたり、誰かに認められたかったり、というエゴの欲求が潜んでいます。
それに気づいたら、一時的にでもそこから離れる勇気を持ちましょう。そして何もしない自分を楽しみましょう。
そうすると、「あら?こんなところに?」と思うところに、あなたの「好き」「やりたいこと」が見つかりますよ。
それを見えなくしてしまっている自分の心のワナに気づきましょう。
悦月(えつき)