願望を手放して自由になってみたら…

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 0

私たちは執着を持ちながら生きている

私たちはいろんな執着を持っています。

習慣も執着と言えます。
願望も執着です。
信念も執着です。

知識も、それを信じるとなると執着になっていると言えます。

そうなるとほとんどが執着ですね。要するに「私はそれを信じ(てい)る」というものはすべて執着と言えます。

執着というと、悪いことのように考えがちですが、必ずしもそうとは限りません。

なにかを達成するために信念を持ってやり続けるのも執着あってこそです。毎日コツコツと何かをするのも「それをする」という執着なくしてはできません。言い方を変えれば、それは「情熱」「興味関心」「好奇心」「向上心」と言えるでしょう。

習慣はもう無意識化されていますが、同じ行動が繰り返されます。
これは無意識化された執着です。

例えば、

毎朝、コーヒーを飲む。
歩きスマホをする。
家に帰ったらテレビを見る。
長めのお風呂に入る。

やめようと思ってもついやってしまいます。
やめれないのは執着があるからです。

願望、これも執着です。
「叶えたい」という思いがあります。
「叶わなかったらいやだ」と思います。

信念も執着です。「私は〇〇を信じる」という。

何に執着して、何を手放すのか?

人生、思った通りにいかないことが増えると、だんだん何を望んで、何を手放したらいいか、わからなくなります。

あなたが思い描いている願望にしても、

本当にあなたの願望なのか、
親や先生、世間があなたに植えつけた願望なのか?

よくよくチェックです。

それならば、執着自体をいったんリセットしてみるという手もあります。

あなたが望んでいること
こだわっていること

それをいったん手放してみてはどうでしょうか?

いやいや、そんな簡単に手放せません!というのなら、「簡単に手放せない」というその思いを手放してみませんか? あるいは、手放したくないですか?

自分が執着していることに対して、

手放せるか?
持ち続けたいか?
こだわることをやめたいか?

と自分の正直な気持ちを探りましょう。

「叶えたい」と思うことが習慣化され、本音はもうそれが叶っても叶わなくてもどうでもいいのかもしれません。もうそれにこだわることから解放されたいと思っているかもしれません。

「叶えたい」と思うことが、あなたを前進させるより足かせになっていることもあります。

いったん願望から自由になってみたらどうでしょうか?

その願望を持つことをやめる。
その願望に縛られるのをやめてみる。

そうしたらどう感じるか?

あるいは、その願望は一生叶わないとなった時、あなたはどうするのか?

それでも持ち続けるのか?
あきらめるのか?

そんなところも見ていくと、その後ろに隠れているもっと本音の願望が見えてくるでしょう。

欠乏感、不足感があるから願望を抱く

私たちが願望を想い抱くのはなぜか?

それはそれを手に入れたいから。

手に入れたいのは、「まだ手に入れてない」「今は持ってない」という不足感、欠乏感があるから。それを埋めたいから欲しいと思います。

しかしそもそも、不足してない、欠けてないとしたら?
ただ「自分にはない」と思い込んでいるだけかもしれません。

あるいは、昔はなかったけど、今はすでに手に入れているかも?
それに気づいていないこともあります。

あなたの願望は今のあなたに必要なものですか?
それとも惰性で持ち続けていますか?

願望は執着であり、束縛です。
それを手放してみることで、新しい願望が現れてくるかもしれませんよ?

願望は成長の種であると同時に、束縛となる

願望は成長の種であると同時に、あなたを束縛するものです。

その願望があなたを成長させたり、良き未来を作り出すのに役立つなら良い願望です。
反対に、あなたの成長をとどめるものであれば、早く手放した方がいいです。「過去こうだった、ああだった」という思いを今も引きずっている場合などがそうです。

例えば、「お前はデブでブサイクだ」と小学生の時にからかわれて傷ついたとしましょう。
それ以後、懸命にダイエットしてスリムな体になり、美容にも気をつけ、きれいになりました。

しかし「お前はデブでブサイクだ」と言われて傷ついた自分が癒されてないのなら、もう十分スリムでも、自己イメージはまだ太ったブサイクな自分のままであり、からかわれた被害者の自分です。

そして「もっと痩せなきゃ」と思います。もう痩せる必要はないのに、です。

このように、過去の思いにとらわれて、今を生きている人は少なくありません。
とくに親の言葉から自由になれてない人は多いですね。

「痩せたい」という願いを実現することに力を注いだとしても、昔傷ついた自分が癒されてないことには、いつまでたってもデブでブサイクな自己イメージを持ち続けます。

「自分はデブでブサイクだ」と本当に思っているというより、「お前はデブでブサイクだ」と言われて傷ついたことを根に持っています。そこが癒されてません。

バカにされた、傷ついたと感情的にとらえていると理性的に考えられません。
すると視点を変えられません。

現実はひとつとは限らない

問題が客観的に見れるようになれば、いろんな可能性が見えてきます。

  • 「お前はデブでブサイクだ」と言った子はあなたに気があった。
  • 実際は、「そのまま太り続ければ、お前はデブでブサイクになる」と心配してくれていた。
  • 一人二人にそう言われたからと言って、それを受け入れる必要は全然なく、気にせず、笑い飛ばせばよかった。
  • そんな昔のことを今だに根に持っているなら、本当は自分がそう思っていたからだ。
  • そう言われたことで起こった良いことはなにか? メリットは必ずある。
  • それがあったおかげで、今はナイスボディである。

など、違う角度から考えることができます。

「お前はデブでブサイクだ」と言われたことが事実だとしても、それをどう受け取り、対応するかは、あなた次第で変えられます。自分がそうだと認めない選択肢もあったのです。

が、子供の頃はそんなこと考えませんから、その時感じたそのままを現実として体験します。

その後、何度も頭の中で再現されますが、それはだんだんと自分の都合のいいように書き換えられていきます。

このプロセスは自分でやっていますから、そのことに気づいた時が替え時ですね。
気づかなければ、ずっと被害者意識で過ごすことになるでしょう。

言われたことを受け入れてしまえば、「自分はそうなんだ」「そう見られてる」と思って落ち込みます。

「痩せてキレイになって見返してやる」という闘魂に変わったのであれば、見返して勝利感を得る未来もあります。

あなたはあなたの人生の目撃者である

要するに、事が起こったあとのストーリーはあなた次第となります。

そのストーリーは”現時点”からスタートします。
つまり毎瞬毎瞬スタートしているということです。

言い換えれば、

いつでもストーリーは変えられる

ということです。

「こんなこと言われたから」
「あんなことされたから」

と思いがちですが、それを今に持ち込んでいるのは自分です。

厳しい言い方かもしれませんが、今それが起こっているわけではありません。
あなたがそれについて思い出すたびに、考えるたびに、それは生じています。

そう、それを生じさせているのはあなたです

であれば、それにこだわるのもやめるのも、あなたの自由です。

それを握る手を離せば、あなたは違うものを握ることができます。

今の自分の正直な気持ちを知ろう

もしまだ持ち続けたいのなら握り続ければいいです。そして思えばいいんです。

「ああ、私はまだこの思い、記憶を手放したくないんだな。」

その思いを持っていることは別に悪いことではありません。

持ち続けたいのなら、あなたにとってそれなりに持ち続ける利点があるはずです。それに納得するか、気に入らなければ、違う理由を作り出すなり、手放すなりすればいいのです。

「それがあるのは悪いことだ」という否定的な思いが心情を悪化させます。

「手放したいんだけど、手放せないんです」というのであれば、そうである自分をそのまま認めることも大切です。そこで「手放さなくてはいけない」となると、手放せない自分に悶々とします。自分の望み通りになっていないと葛藤が生じます。

葛藤は成長の糧となりますから、葛藤はあってもいいです。そのエネルギーをバネに成長しようとするなら、あなたは変化していくでしょう。

綱引きのように引っ張り合いのままでいるなら、葛藤が続き、悩み続けます。そして「自分はどうしたいのかわからない」となります。

あなたが何に関心を持つのか?が大事

人は「手放せない」ことを問題視し、どうしたら手放せるか?と考えがちですが、それを手放さなくてはならないのか?もっていたっていいんじゃないか?と視点を変えてみることもできます。

視点を変えてみることで、手放すことに執着していた自分に気づいたりします。

「痩せなくては」とがんばるより、人生もっと楽しいことあるんだから、そっちに目を向けてもいいんじゃない?ということですね。

結局、あなたの関心がどこにあるか?ということになります。

あなたがこだわっていることは、あなたがこだわりたいからこだわっています。

5歩後ろに下がって眺めてみると、「あれれ?なんかどうでもいいこと悩んでるぞ!?」なんてことに気づくやもしれませんゾ。

それとも、「あっちにもっとおもしろそうなものが転がってる〜!」なんて発見があるかもしれません。

悦月(えつき)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする