期待と現実とのギャップに苦しむ
私たちの苦悩はどこから来るのか?
それは「期待と現実とのギャップ」ではないでしょうか?
「こうなってほしい「こうなったらいいな」と思っていることと、実際に起こる出来事が違っていると、そのギャップに苦しみます。
いくら願っても叶わないという場合、あなたは願っているけど、そうなると本当に信じているのか?
「こうなってほしい」と願うのが頭の中だけになっていることはよくあります。
「コーヒーが飲みたい」といくら強く何度も思い描いて願っても、コーヒーは出てきません。運良く誰かがもってきてくれたらラッキーです。それよりもさっさと自分で作るなり、買いに行くなりした方がいいです。
もしあなたがありありとイメージしたとしたら、
コーヒーの香ばしい香りに鼻をクンクンし、最初の一口をごくりと飲んだ時の、喉元を過ぎるコーヒーのほろ苦い味に「あー、おいしー」と舌鼓を打って、ホッと一息つく。
その情景を体感し、口の中でコーヒーを味わい、体はコーヒーを飲んだ感覚になります。
そうするといてもたってもいれなくなり、立ち上がってコーヒーを入れます。
体感が伴うイメージングをしているか?
イメージすることで行動が変わります。
大事なのは体感が伴うことです。
頭の中で思っているだけでは、想像の域を超えません。
行動が変わらないければ、そのイメージングは正しいとは言えません。
ただしこのコーヒーの例のように、すぐに行動に移せるものもあれば、時間がかかるものもあります。
実現させたいことの「場」ができているか?
言い換えれば「臨場感」です。この場合「気」と言ってもいいでしょう。
今ここで起こっているかのように感じているか?
身体反応を伴っているか?
身体反応を伴っていれば、エネルギーが変化していますから、場のエネルギーも変化しています。意識するだけでも身体は変化しますし、それに応じて「場」「気」も変わります。
あなたはその変化に気づくかもしれないし、気づかないかもしれません。
たいていすぐに目の前の現実にフォーカスを戻してしまいます。すると臨場感は今、あなたが感じている現実に戻ります。
どちらを感じている時間が長いか?
通常、目の前の現実でしょう。
そちらに気を取られやすいですから。
「今」ではなく、「ゴール」からスタートしよう
しっかりとゴールを持っている人は「はじめにゴールありき」になっています。
ゴールの臨場感が主たるものになっていますので、それに見合っていない現実を変えて擦り合わせることになります。
未来が先に決まっていて、今の現実はその未来に向かっている途中と考えます。未来から時間が流れてくるとして、やってくる未来(ゴール)に現実をすり合わせていきます。
私たちはみんな、願うことはできます。
「叶ってないから叶えたい」と思うと、スタートが「叶っていない」です。
まだ現実になってないと思っています。
これは心の中で叶っていない状態を思い描いています。
あなたは願うことはできます。
でも叶うかどうかはあなたが関与することではありません。
叶えるためにあなたは行動しますが、本当に叶うかはその時点ではわかりません。
多くの人が先に結果にこだわるので、叶っていないと「なぜ叶わない?」と思い、原因探しを始めてしまいます。そうなるとあなたは、叶ってない状態を認めたことになり、ますます「叶わない」状態を現実化してしまいます。
願い方がまちがってるんじゃないか?などと考えてしまいますが、あなたの心の状態が大事です。
例えば「緊急事態宣言が終わってほしい」「コロナ騒動が終わってほしい」と思います。
すべてが収まっていつもの日常が戻ってきたイメージを毎日したとしても、「なぜその願いを持つのか?」とみると恐れが先立っています。
行動が制限された今の状態や、この先どうなるかわからない状態から早く抜け出たい。
そう思って願うときは苦悩です。
「早くこの状態から抜け出たい」という、今の状態がリアルな臨場感です。
なぜその願いを持つのか?といえば、今の状態から解放されたいからです。
「今の状態から解放されたい」と思って願う時は、気持ちが「今の状態」を感じています。なので「今の状態が私の現実なのだ」という思いが強化されてしまいます。
大事なのは、状況より、あなたの「あり方」
じゃあ、コロナ騒動が始まる前はどうだったのか?
やはり「今の状態が変わってほしい」と何か違うことに対して願っていた可能性大です。
状況が変わっただけで、当人の「あり方」は同じです。
「海外に放浪の旅に出たいから早くおさまってほしい」という場合、思い描いているのは、バックパックを背負って海外を旅している自分です。この場合は恐れからではなく、ワクワク感です。
願いは現在進行中だと考えよう
では、視点を変えて、「変わりたい」と願った結果が今だとしたら?
もしそう思うなら「これは悪いことではない」と受け止めることができるはずです。
「あのまま現実が続いていたらきっと私はそのままだっただろう。でも今、強制的に変わらざるを得ない状態になっている。これはすごくストレスで苦痛だ。」と感じていたとしてもそれが大事です。
「もう、いや!」と本気で思えないと人はなかなか変わろうとしません。「望んだ通りに、現状から抜け出すために今これが起こっているのだ」と考えることができたら、あなたは変化した先の未来の臨場感を持っています。
「未来そうなっているから、今こうなのだ」という思考ですね。
世界の人々が愛に満ちて幸せに…みたいな願いであれば、最初は現実への恐れから始まったとしても、思い描く映像は愛に満ちた心温まる映像になっているはずです。思い描いている時、平和で安らいでいるのなら、その波動でいますから効果はあるでしょう。
コロナ騒動についても、今の状況やこれからのことに憂えている人もいれば、この変化にどう対応していこうか?とその後の世界を見すえて行動している人もいます。
これからの時代、自分のゴールを持っているか、いないかはとても大事になります。
自分のビジョンといってもいいでしょう。
自分のゴールがわかっている人はそちらに臨場感がもてますから、そのために動きます。
多少の逆境にはへこたれません。
ただそれに”すがる”となるとまた別な話です。
あなたの信じることがあなたの現実となっていく
これからの未来はもっとパラレルワールドになっていきます。
あなたが信じることが現実化していくでしょう。
これはあなたが「思い込もうとしていること」ではないんですね。
だから難しいのですが。
「こうなってほしいと願う」ことは「思い込もうとしている」ことです。
本当にそうなると信じていたら願いません。
「信じれば救われる」と言いますが、実際はそうだとは言い切れません。信じて救われる人は、信じてその通りになった人か、それを信じることにした自分に納得しているか、です。
納得していたら、その通りにならなかったとしても納得なので心残りありません。
そういう潔さも大切です。
「信じれば救われる」と思って信じようとしていると、救われなかったら「信じたのになぜ?」と裏切られた気がします。
DVを受ける妻が「きっとあの人は変わってくれる」と願い続け、殴られ続けるようなものです。
人を変えようとするのではなく、まず自分が変わる
DVを受ける妻が「きっとあの人は変わってくれる」と願い続け、殴られ続ける場合、そもそも願う以前に、なぜその状況から抜け出れないのか?というもっと現実的な側面をみるべきです。
相手が変わってくれることを願うより、まずその状況を招いている自分自身に目を向けることができるなら、状況は改善しやすくなります。
人が変わることを願うのではなく、自分がまず変わる。
そうすることで状況は変わっていきます。
ゴールは気持ちが前向きになるものであり、恐れに根ざすものではありません。
エゴから出た願いだと恐れベースになることはよくあります。
でもそれは本当のゴールではありません。
個人の幸せを願うゴールはたいてい現状の中です。
安心安定を求めるのは、恐れからでているか、現状維持を求めていますから、現状の中のゴールになります。
それを超えた先にあるものがあなたのゴールとなり得ます。
言ってみれば、自我が介入しないゴール。
だから「現状の外のゴール」はわかりづらいです。
なので、それを見つけるために、恐れに飛び込んだり、居心地の悪いところに行ったりして、現状打破します。
そうやって今の自分や状況を変えていくと、本当のゴールに出会いやすくなります。
悦月(えつき)