先に決めるからそうなる
最近はストレスがないなーと感じている私です。
ずいぶんと生きるのが楽になりました。
でも昔はストレス多かったです。生きづらさを感じてました。
人はいくらでも変化できるんだなーと人ごとのように感心します。
なぜなんだろう?と考えてみました。
その答えは「好きなことをしているから」なんだろうな〜と思います。
では、なぜ好きなことができているか?
それはある時、「好きなことしかしない」と決めたから、、、なんでしょうね。
「決めただけでそうなりますか?」と聞かれたら、答えは「イエス」です。
先に決めるからそうなるんです。
決めるということは未来を決定しています。
私はこれをする。
私はこうなる。
「したい」「なりたい」ではありません。
「なる」と決める。
「する」と決める。
でもこれは、それを得るために必死に努力するのとは違います。
決めた直後からあなたの行動が変わり始めます。
でも「どうやって?」はまだわかりません。
そうなることになっているから、そのために「今できること」をしていく、という流れです。あなたの行動が変わらないのなら、本当に決めてはいないのでしょう。
その未来が実現するかどうかは気にしません。
やることは今できることだから、今できることを地道にしていきます。
淡々とやっていきます。
絶対にしたくないことを決める
「でも、だって」が出る場合は、決めてないです。
「そうしたいけど…」って感じ。
「けど」の後に続く言葉があなたの現実として現れます。
いろんな決め事を私たちは無意識にしています。
本当に避けたいことは、あなたも避けています。
やりたいこと、なりたい自分がわからない場合、「絶対にこれはいや」を設定するといいです。除去法ですね。
やりたくないこと、出会いたくないものを”決める”と、それは遠ざかります。
「でもそれが反対に引き寄せてしまいませんか?」という意見も出てくるでしょう。
それもあります。
引き寄せてしまう場合は、そこに強い思いが潜んでいます。
例えば、私は子供の頃、幽霊話は好きでしたが、「見るのは怖いから絶対いや」と思っていました。だから私は「幽霊を見ない」ことに決めました。
そのせいかどうかはわかりませんが、幽霊は見たことありません。
高校の時に「満員電車通勤は絶対にしたくない、しない」と強く思いました。会社内での陰険な人間関係とかも。
おかげで経験せずに済んでます。
幽霊を見ないと決めた時に、私の中では「見ない自分」を強く感じました。
「見たくない」は、「見てしまったらどうしよう?」という恐怖が先に立ちます。心の中では「見るかもしれないから見たくない」という動きが起きています。
この場合、「見ない」より「見る」が強調されています。
ここに気をつけないといけません。
「する(do)」ではなく「なる(be)」
”決める”とは、決断すること。
「決断」は、決めて断つ。
決めることによって過去や恐怖、不安を断ちます。
つまり、ここでいう「決める」は、「する(do)」ではなく「なる(be)」です。
「幽霊は見ないと決めたから、私は見ない」と決めることで、「幽霊を見ない自分」になったのです。
「やりたいことしかしない」と決めたのなら、「やりたいことしかしない自分」になったのです。
ここ、とても大事です。
多くの人は決めてから、”そうなろうとする” んです。
でもそれは決めてないでしょ?
「そうなろう」とすることを決めているんです。
だから、そうなろうとし続けますが、「そうなる」と決めてないので、ずっとそうなりたいと思って追っかけます。目の前にぶら下がった人参を追い続ける馬と同じです。
未来を先取りする
決めたなら、そうなった自分にすでになっています。
先取りです。
本当にそうなれるのか疑心暗鬼でも、「もう決めたから」とその自分になり切りましょう。
今の状況がそれにそぐわない環境であれば、それが変わるにはしばし時間がかかります。
やりたくないことをしている人たちばかりの環境なら、今の仕事を辞めることになるかもしれないし、人間関係でもめるかもしれません。
でも「やりたいことしかしない自分」になっていれば、何をなすべきかは、その時その時に見えてきます。ブレないようにしましょう。
決めたことに自分が「なる」から、現実が(あなたが)変わります。
嫌なことを引き寄せてしまうのは?
やりたいこと、なりたい自分がわからない場合、「絶対にこれはいや」を設定すると良いと書きましたが、「嫌なことを引き寄せてしまう場合はどうでしょう?」という疑問に思う人もいるでしょう。
私たちは絶対にしたくないことには向かいません。避けます。
けれども「イヤよイヤよも好きのうち」という言葉があるように、嫌なのに引き寄せてしまうケースがあります。
そこに、あなたのこだわりや弱さ、複雑な心境があります。
自分がそれを知っているとは限りません。
潜在意識に深く刻まれてしまっている場合もあります。
嫌なのに引き寄せてしまう場合、そこに向き合う課題があります。
何らかの強い思いがあります。そのこだわりが手放せません。
心の中にずっとキープしているので、それが現実に現れてきます。
昔、私は蜘蛛が天敵だと思えるぐらい大っ嫌いでしたし、怖かったです。
そのせいかしょっちゅう蜘蛛を見つけては恐れおののいていました。
学校で授業を受けていると、目の前に、天井から小さな蜘蛛が降りてくることが何度もありました(笑)
今ではすっかり蜘蛛嫌いは克服できてます。とても興味深いプロセスが起こりました。その話はまた何かの機会にお話できればと思います。
ただ単に蜘蛛が嫌いだっただけではなく、象徴や元型や自分のルーツなどに関係した蜘蛛嫌いでした。蜘蛛嫌いが直ったら、蜘蛛は私の天敵どころか、神の使いみたいに感じました(笑)
見方を変えれば、あなたの恐れの裏にあなたの願望と使命が隠れてます。
そこには大きな恩恵が潜んでいます。
怖がってばかりいれば、あなたは背を向けて逃げます。
逃げれば、それはどこまでも追いかけてきます。
自分が見たいものを見てしまう
また幽霊の話ですが、子供の頃、廊下に白いものが見えて「キャ、幽霊?」とどきっとしたことがあります。
が、その時すでに「幽霊は見ない」と決めていたので、「私の前に現れるはずがない。あれはきっと違うものだ」と思い直して見たら、、、
トイレットペーパーでした。。。
この時、私が「幽霊だ!」と信じれば、きっと幽霊を見ていたでしょう。
自分が見たいものを見てしまうわけです。
蜘蛛嫌いの時は、嫌いであるがゆえに敏感に反応して、他の人が気づかない小さな蜘蛛にも気づいて怖がっていたわけです。過剰反応です。
これが人だったら、何度も私の前に現れて、「私になんか恨みでもあるの?嫌がらせ?」とか勝手に思っていたかもしれません。
現実にこういうことは多々起きています。
日常茶飯事だと言っていいでしょう。
何にエネルギーを注いでいるか?
欲しいものや好きなものにも、嫌なものや怖いものにも、あなたはエネルギーを使っています。
嫌なことを引き寄せる場合は嫌なことをたくさん考えているからです。強烈な感情がまだそこに残っているのなら、いつかは処理しないとずっと尾を引きます。
あなたはそれを避けるため、抑えるために多大なエネルギーを使っています。なので、前に進むことや望みにエネルギーが出せません。
トイレに行きたいのを必死に我慢してたら、他のことが何もできなくなるのと同じです。
でも出すもの出せば、スッキリして自由になれます。
自分の中に抑圧するものがない人は、欲しいこと、したいこと、好きなことにエネルギーが使えます。
あなたは自分のエネルギーをどう使っていますか?
うまくいく人は、やりたいことに思いっきりエネルギーが出せます。
天才と言われる人たちがそうですね。
進みたいのに進めない人は、抑えることに多くのエネルギーを使っています。
つまりブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいます。
もっとアクセルを踏むがいいか、ブレーキを離すことが先決なのか、あるいは、そこにはまったく関わらないほうがいいのか、
それは人によって違います。
悦月