自我のコントローを手放し、すべてをゆだねよう

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常識の服を脱ぎ、素の自分に戻ろう

多くの人は生まれてこのかた、いろんなもので自分をがんじがらめにしてきています。
今までは、まわりに合わせたり、同じレールの上を歩むことが良いことのように言われてきましたが、時代は刻々と移り変わっています。自分を縛り付けている観念に振り回されず、それらをどんどん取り除いていって、何者にもとらわれない自由な素の自分に戻りましょう。

みんなが服を着ているのに、自分だけが裸になるのは勇気がいります。裸になれば、まわりはいろいろと言ってくるでしょうし、バカにされたり陰口をたたかれたりされます。
今までの常識がまだ残っていれば、裸でいるのはとても恥ずかしいですし、裸になった自分は頭がおかしいのではないか?と感じるでしょう。

今までの自分や常識を自分から剥がす作業は、それぐらい抵抗がおきやすいです。

多くの人は「裸の王様」状態です。王様は裸なのに、みんな、衣装が見えているかのように振るまいます。それに違和感を感じている人は多いと思います。が、反すると、自分が批判される側になってしまうかもしれないので、みんなに合わせます。

そういうのをやめることを割り切ってしまえば楽ですが、葛藤があるうちは人の批判も気になるでしょうし、割り切れない自分を歯がゆく感じます。

本来の自分になろうと思うと、今までの自分とは違う行動をとることになります。最初は怖く感じます。が、今までの自分のほうが偽りの自分なので、本来の自分とのすり合わせは時間がかかってもやっていったがいいです。人によっては、一生かけて見つけていく作業になるでしょうが、最後には「よかった」と笑うことになるでしょう。

未知の世界に飛び込むのは怖いものです。
不安はつきものです。

しかしあえて飛び込んでみてください。

普段の自分らしからぬことをしなければならない
思いもせぬ流れが来ている
すごい重圧やストレスがかかっている
すごく勢いづいている、など

いつもと違うプレッシャーがかかっているのなら、思いきってそれに飛び込みましょう。
それはとてもよい飛躍のチャンスです。

行動すると視点が変わる

大事なのは、あなた自身がブレイクスルーすること。
一つ殻を破りましょう!
躊躇していることがあれば、行動しましょう!

悩んでいるより行動するほうが早いです。
やってみてうまくいかなかったら、違うやり方を試みればいいだけです。

結果は関係ありません。行動に移すかどうかが大事です。
結果を気にして行動しなければ、あなたは過去の自分のまま、殻を破れません。

とりあえず行動したら、「行動した」という事実ができます。

「行動してどうなったか?」ということより、「行動した」という事実のほうが大事です。
行動することによって違う視点が現れます。

もし背中を押されていることがあれば、ぜひ飛び込んでみてください。
あとのことは飛び込んだあとに考えましょう。

飛び込む前と飛び込んだあとでは何が違うのか?

海に入ることをイメージしてください。

海に入らず、浜辺から眺めているのと、実際に海に入ってみたときと、その感覚は全然違いますよね?

そういうことです。

海に入ったことないのに海を知っていると言う人と、海に入ったことあって海を知っていると言う人と、その違いは歴然としていますね。

前者の人がいくら海について説明したところで後者には負けます。

古い今までの自分が剥離されたら、新しい自分はそれぐらいの違いがあります。
それは剥離されたあとでないと、剥離後の一皮むけた自分のことはわからないのです。

剥離される前の自分がいくら剥離後の自分のことを考えたとしても限界があります。

一番いいのは体験してみることです。

いろんなプレッシャーがかかっている人は、それを超える力を持っているから、そういう流れが来ています。

あなたにはそれができます。信じて乗り越えていきましょう。
そうしたのち、あなたは思わぬ自分の可能性を発見して驚くことになるでしょう。

自我のコントローを手放し、すべてを委ねる

先ほど「剥離」という言葉を書きましたが、剥離は「剥がれて取れる」という意味です。

「手放す」というと「自ら手を離す、捨てる」という印象です。
それよりも今は「剥がれて落ちるままに任せる」感じであり、自我でもって一生懸命がんばって変わろうとするのではなく、「それさえも手放してゆだねる」に近いです。

自我による思考や行為を手放した先に何があるか?という感じです。

自分が一生懸命がんばってどうにかしようとするより、それさえも手放して、もっと大きな力に自分を委ねられるか?

そうなって初めて「本来の自分」が現れてくる…

そんな時期になってきています。
日常を脅かす様々なことがあちこちで起こっているのもそういうことなのかもしれません。

向こう岸からの風景は向こう岸に行かないと見えない

行動する、体験することによって初めてわかることがあります。
それがすぐに言語化できるかどうかはわかりません。

が、体はしっかりと体感しています。

人はすぐ結果を求めがちですが、行動したことでどう変わったか?はその時点で判断できるものではありません。

しかし「体験(行動)した」としないのとでは雲泥の差があります。

あなたが必要としている変化を促す何か、自我を手放し、もっと大きな力に身を委ねる疑似体験になるものを体感する機会があると良いですね。

人によっては、長年行ってなかったお墓参りに行った、みたいなことがそういう意味合いを持つかもしれません。

ずっと先送りしていたけど、やっと行く気になった、というだけでもすでに変化です。何やら心境の変化があったのでしょう。実際に現地に行ってみることで、初めて気づくこともあるでしょう。

こちら岸にいるままか、向こう岸に足を踏み入れるか? その違いは大きいです。

足を踏み入れたからと行って、そこにいなければならないことはありません。戻ってくるのも自由だし、違うところに行くのもありです。

まず行ってみる。
そして、自分で感じてみる。
体験/体感してみる。

向こう岸からの風景は、向こう岸に渡らないと見えないのです。

こちら岸から想像することはできます。
しかしその想像力が今の自分を超えることはなかなか難しいです。

だからこそ未知の体験をお勧めします。
その新体験が新たに創造性の火花を散らし、今までとは違う発想や行動を促してくれるでしょう。

悦月(えつき)

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