備えあれば憂いなし
最近の台風に関する報道は大げさじゃないか?とも言われてますが、万が一に備えて防災準備だけはしておきたいですね。何かあってからでは遅いですから。
人事を尽くして天命を待つ。
まずは人のできることをやり尽くして、そのあとは心静かに天に運を任せます。
できることをしきったあとは、もうどうしようもないので、なるようになるしかありません。しかしそういう時こそ、今までと違ったひらめきが起きやすい時です。
天命とは何か?
天の命。
私たちが生きているということは、天からいただいた命を生きているということです。
あなたが自分で自分を生じさせたわけではないですから。
現在過去未来を合わせたいろんな関係性の縁起の中で、あなたという存在が生じる必要があったと言えます。
となると、なぜあなたが生じたのか?
それを知り、それを生きること。
それが天命を生きることではないでしょうか?
人事、、顕在意識が考えうることをすべてやってしまったあとは、もう顕在意識では太刀打ちできません。「もうわからん、手のつけようがない」と思って、理屈や損得で考えるのをやめ、理性を手放してしまったら、、、
やっと無意識が新たなリンクづけをしようと動き出します。理性ではつなぎ得なかったもの同士をつなぎ合わせて、新しいアイデアをクリエイティブに生み出します。
そして天からの命令があなたに下ります。
「自分を生きよ!」
「天が授けた命を生きよ!」
「そのためには〇〇をせよ!」と思わぬアイデアをあなたに授けます。
それをするかしないかはあなたに任せられます。
常に自由選択です。
自分の意のままに生きる
「備えあれば憂いなし」は、日頃から十分に準備をしておけば、何も心配することはない、という意味です。何も起こらないと言っているのではなく、案ずることはないと言っています。
自分ができることをすべてやったのなら、どう転んでも受け入れよう、という潔さがあります。
また、できることはやったのならもう不安がるのはやめなさい、とも受け取れます。
不安や心配、恐れを持っていると、同じ波動のものを引き寄せます。
だから「憂いなし」でいるほうがいい。
「なにがあってもどうにかなるさ」という強い精神の人はなにかあってもどうにかします。生命力が強いというか、根性があるというか。
たくましく柔軟に生きることができる人は強いです。
そういう人は何があっても現状を受け入れ、そこからまた不死鳥のごとく蘇ります。
「天は私を悪いようにはしない」というゆるぎない信念があれば、悪いようにはなりません。これは信念というより信仰に近いかも。
言い換えれば、「私に悪いことは起こらない」と思っているか。恐れから言っているのではなく、どんなことが起こっても「それは悪いことではない」と言える自分がいるということ。
「天は私を悪いようにはしない」
言い換えれば、
「私は私を悪いようにはしない」
そう、あなたと天は同じもの。
天の意思をあなたが受け継ぎ、あなたに実行する。
天命を生きる。
天の意のままに生きる。
それは自分の意のままに生きること。
悦月(えつき)