みんなに与えられている時間は「1日24時間」
今年はコロナのことがあり、テレワークになったり、仕事が休みになって自宅にいたり。外を出歩いたり、人に会う回数も減り、自分の時間が増えた人が多かったと思います。
いつもと変わらない人や、いつもよりも忙しくなった人もいますが、どちらにしろみんなに与えられている時間は「1日24時間」です。
コロナの前も今もそれは変わりません。お金持ちでも貧乏でもニートでも学生でも1日は24時間です。
時間を主観的に伸び縮みするととらえると、人それぞれ持っている時間の長さは違いますが、普通に時計時間の24時間を考えた時、あなたがその日、休日だろうと仕事だろうと、深夜0時を過ぎれば、24時間のカウントダウンが始まります。あなたがどう過ごすかに関係なく、時間は容赦なく過ぎていきます。
1日が終わっても寿命は続いていることが多いですから、また翌日になれば、新たなカウントダウンが始まります。
「お金がない」「時間がない」はウソ
人はよく「お金がない」「時間がない」と言います。
お金は個人差がありますが、時間の持ち分はみんな同じです。あなたには30時間あげるけど、あの人は20時間だけ、ということはできません。
だから「時間がない」というのは変な話です。みんな同じ時間を与えられてますから。
「時間がない」のは、何かに時間を使ってしまっているから、別な何かをする時間がないのです。その時間配分が自分の価値観の優先順位と一致していないので、時間がないと感じてしまいます。ならば、それを修正する必要があります。
「お金がない」という人の多くは、使ってしまっていて「お金がない」と言います。だから本当は「ない」のではなく「ある」なのです。
「1日24時間 x α」 は命の長さ
みんな同じ長さの時間を与えられていますが、使い方が違います。
有効に使っている人もいれば、時間の奴隷になっている人もいます。
1日24時間を、神様が与えてくれるギフトだと考えてみましょう。
毎日午前0時になると、チャリンと24時間があなたの生命貯金に入ってきます。
神さまからいただいた24時間。あなたは何に使いますか?
この24時間はお金で買うことのできない「命」という時間です。「与えられる」と書きましたが、本当は、減っていく時間(寿命)です。いただいているようで、実は自分の寿命から毎日24時間引かれています。毎日寿命から24時間ずつ減っています。
もらっていると思うとありがたいですが、減っていると考えるとなんだか怖いですね。
「毎日24時間をいただいている」と思うのと、「毎日24時間が差し引かれている」と思うのとで、あなたにとってはどちらのインパクトが大きいでしょうか?
今日1日をどう過ごすか?
1日の長さは同じですが、寿命の長さは人ぞれぞれ違います。平均寿命ぐらい生きるかな?と
なんとなく思い描いている人が多いと思います。明日はちゃんとくるだろう、と。
きっと明日はまた24時間をあなたのところにもってくるでしょう。
毎日24時間のギフトをもらっていると考えたら、それをどう使うか?を日々考えて活用している人と、なにげなく時間を過ごしている人とでは、時間が経つほどに差が開いていきます。
毎日あなたには「24時間」というギフトが送られています。「一生」や「10年後」というと、スパンが長くなって実感しにくくなります。24時間区切りで考えると「今日いただいた24時間をどう過ごすか?」の話となります。
毎日「今日の素敵な過ごし方」を考える機会を作ってみてください。
もし毎日何もせず、24万円が手に入るとしたら?
さて、次にそれをお金に置き換えてみましょう。
毎日午前0時になると、あなたの手元に24万円の現金が現れるとします。そのお金は使わなければ、その日の終わりに消滅してしまいます。午前0時直前に残ったお金は消滅しますが、0時になるとまた24万円の現金があなたの手元に現れます。
貯金できないとなると、最初は、その24万円を1日でどう使い切ろうか?と考えるのではないでしょうか?
あれこれ買ったり、投資したり、人にあげたりおごったりすると思います。
しかし毎日毎日続くと、そのうち全部使い切ろうとは思わなくなるでしょう。必要な額だけ使うと思います。残りは消えてなくなりますが、翌日になれば、また24万円が現れますから、そんなに気になりません。
最初に感じたありがたみも失せていきます。明日もまたもらえると思いますから。水道から出る水のように当たり前になっていくでしょう。投資したり、どこかに寄付したりで、お金の有意義な使い道を見つけたのならいいですけど。
この世に生まれただけで、誰もがもらえるギフト
では、もう一度、時間の話に戻ります。
毎日24万円が手元に来るのと同じように、毎日24時間があなたの元にやってきます。これは仮定の話ではなく、本当に毎日24時間が与えられています。生まれてから今までずっと1日も欠かすことなく、毎日素晴らしいギフトをもらっています。
毎日24万円もらうのと、毎日24時間もらうのと、どちらがいいですか?
答えは決まっていますよね。24時間です。
だって24時間を与えられることなければ、死にますから。24万円をもらっても使えません。
毎日得るあなたの24時間は、24万円以上の価値があります。1億円あげると言われても、命をなくすより、24時間を選びますよね。保険金がわりに家族に1億円を、という話は別として。
あなたの命は1億円以上の価値がある
となると、当然ながら、あなたの命は1億円以上の価値があることになります。あなたの命が1億円以上の価値なら、あなた自身にも同等の価値があると言えます。
そんなに価値のある命や時間を得ているのに、それに値する使い方をしているでしょうか? それこそ水道から出る水のように無駄に使ってませんか?
発展途上国では、水を汲みに何時間も歩くところがあるそうです。日本のように蛇口をひねればきれいな水が出てくるのは、実はとても恵まれていると言えます。
断水したらその価値がいかほどか、わかりますよね。
私たちはものすごいギフトをいただいている
あと何年生きられるだろうか?と残された時間を思う時、多くの人はまだまだ時間があるように思います。毎日24時間が自分の命から削り取られていると考えるなら、もうちょっと日々を大切にして過ごそうか?と考えるでしょうか。
もし24万円があなたの貯金から引き出されているとしたら?
きっと毎日、その額を有効に使おうと必死になりますよね?
24万円はまた作ることができますが、時間は減る一方で増えません。
無償の命と時間に感謝と敬意を表したい
この文章を書きながら、私たちは本当にすごいギフトをいただいているんだなと感じました。それを十分に生かしているか?というと、私は全然です。人に言える立場ではないです、本当は。
命にしろ時間にしろ、無償で与えられています。すごいことです。大切に扱って、そのことに感謝しながら過ごしたいな、と思いました。
考えてみれば、あたりまえのことですね。でも、そんなこと思う人は少なそうです。
「人の命は重い」とか「命を大切にしよう」とか聞くと偽善っぽく思えます。また、「何かを成し遂げなければ」と気張れ、と言いたいわけでもありません。そういう意味ではなく、ただ純粋に、自分に無償で与えられていることに感謝と敬意を示したい。
そういう生き方がいいなーと思いました。
悦月(えつき)