以前からblogやメルマガを読ませて頂いていて、見えない(見えにくい)世界と、現実的な考察とのバランスが気に入っていて、自分にとっての大事な感覚に触れるメッセージと思っていました。苫米地博士の本の内容、気功、量子論にも興味をもっていました。
ある日の、「受け付けます」の告知を見て、私はこれを受ける!とピンと。軽いかんじでした。お金はなかったのですが、決めたらなんとぴったりの額がたまたまやってきました。びっくり。
常に軽い恐怖があったのですが(満員電車や閉じ込められることが怖く、それを思うことを拒否するかんじ)、気づいたら、すっぽりとなくなっていました。びっくり。
また、漠然とした不安がいつもあって、不安がベースの行動だったのが、とらわれることはあるものの、それを客観的に見て、ああそうなのね、と思ったり、ネガティブと思われることも、ポジティブと思われることも、どちらも単なる「こと」で、ネガティブだからダメ、とかジャッジすることはいらないんだなと、気づきそうです。
いま思うと、いつも身体の外側に魂?が出ていて、自分を監視していました。周りを常に見ていて、それありきだったんだなあ、とわかりました。人からどう思われるか、が非常に薄くなっているようです。リラックスがわかるようになりました(これも、よく考えたらものすごい変化!)
思いもしなかった人と出会い、思いもしなかった仕事をさせていただくことになりました。流れに乗っちゃえー、と。
また、アーティストとしての活動も積極的にやる流れができてきました。
合わないこと、いやなことは、相手を慮って、ではなくただ、やらない行かない。とできるようになっていました。
あれこれと気に病むことが少なくなったようです。
気の軽いかんじの人たちに交友関係が入れ替わっています。自然と、離れる関係も多く。新しい出会いが多い。
あと、これは全体のエネルギーのようなものが変わってきているから誰にも当てはまることかとも思いますが、シンクロニシティがすごい。人からのメッセージがピンと来ることが多い。人と人をつなぐことも気づかぬうちにしていることが多いようです笑
一瞬一瞬がいま、ということが、おお、こういうことか!とわかりました(「いまここ」という言葉を脳で知っていただけだった)
内にある、= ふつう(じぶんそのまま)ということが、わかりました。ふつう、最高!
いつも、他に求めたり、正解を知りたかったり、この人の近くにいればいい、とかそういうエゴにとらわれていました。
いままでは、目標(とまではいかぬとも、理想のところ)があったら、それに行くには、どうすればいいか、と頭で考えてこうしてああして、とやってきたけれど、それはナンセンスなところが大きいと気づきました。
大きく、こうだ、というゴールを設定したら、あとは、そこにあたしはいるんだから、任せていい委ねていいというか。
今や過去の自分はわかっていない。でも、ゴールの自分は知っている。
過去▶︎現在▶︎未来じゃなくて、逆、というのが、ああ、、と。
委ねる、というと、他人任せという感じもあるのですが、ちがう。
情報場について、本をいくら読んでも、こうはなりませんでした。
悦月さんと、同じ場を共有して、時間を過ごすだけで(なんにも考えずにセッションに行くことも多かったです、、)、脳で理解しようとか、覚えていようとか、ではなく、言葉でない、空間のなかに、情報がいっぱいあって、そのなかに自分をおくことで、いったん自分がほぐれて一体となって、情報をもらい、再生する、というようなかんじ。かなあ。
(S.Y様 東京都 女性)