エピソード5:国外逃亡して自分探しを始める

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エピソード4はこちら

パンクの本場へ

パンクロックにはまったことで、ロンドンに行きたいという思いが増してきました。
短大時代はバイトに明け暮れ、渡英資金を貯めてました。

この頃、日本では松田聖子の「ぶりっ子」が流行っていて、みんなが同じヘアスタイルや格好をしていました。私はそれを毛嫌いしていました。自分自身を持たない人たちや、本音と建前のような取り繕った慣習が嫌いでした。私はバブル直前に渡英し、バブル崩壊後に帰国しましたが、当時の日本は薄っぺらい表面だけのうそだらけに思えて大っ嫌いでした。

パンクは本音で生きている感じがしたんでしょうね。
ますます日本を抜け出したく思いました。

短大卒業後、親に「半年間ロンドンに語学留学する」と告げ、大反対されました。
昔の田舎ではまだ海外に行く人はいない時代です。親にとっては戦地に子供を行かす心持ちだったでしょう。

ある日、父親が私の部屋に来て「親戚とお前を勘当させるかどうか話し合おうと思うが、それでもロンドンに行くのか?」と言われ、ビビりましたが、「行く!」と固い決心で答えました。その数日後、親はあきらめたのか、どうにか許してもらえ、単身渡英することになりました。

英語の勉強という建前でしたが、パンクの本場に行きたかったことと、自分探しが本音でした。

本来の自分を取り戻すためには親から逃げねばなりませんでした。それも国内では不十分。海外逃亡です。自分を取り戻すためには、それぐらい親と距離を取らないと無理だと感じてました。

半年の予定で行きましたが、半年後、滞在を延長すると親に告げました。
結局8年間海外にいて、その間、日本にいたのは3ヶ月間弱、約1ヶ月の帰国が3回ほどでした。
その間、2度勘当されそうになりました。「もう帰ってこなくてもいい」と言われましたが、日本に帰国してから「今から家に帰る」と連絡をしたので、さすがに親も「帰ってくるな」とは言えなかったようです。

ラスタマンとイタリア人と暮らす

さて、簡単に英国滞在時の話を書きます。

何が良かったかというと、日本では絶対にできない体験をたくさんしたこと。

その時の経験は私の大事な”糧”となっています。

一番良かったのは、友人と家族のように暮らしたこと。

中学生の時の愛読者『はみだしっ子』は家出の子供4人の放浪ストーリーですが、友人たちと家族のように暮らしてました。

私はジブリ映画『ハウルの動く城』が大好きですが、あれもまた他人が家族みたいになっていきます。

自分の親兄弟とは他人行儀ですが、他人である友人数人との共同生活は家族以上のつながり感がありました。

ああいう関係は、当時の日本で普通に暮らしていたら起こり得ないでしょうね。

渡英後最初の1ヶ月のホームステイ後、ジャマイカ人のラスタマンのミュージシャンと、イタリア人美女のカップルとシェアハウスをすることになりました。

ラスタマンは毎日ジャンジャカ楽器を鳴らし、ミュージシャンの友人たちがきては楽しんでました。

「パトワ」といわれるジャマイカンアクセントの英語と、強いイタリアンアクセントの英語を理解するのに時間がかかりました。

ロンドンには「コックニー」というロンドン地域の方言があります。スコットランドやアイルランドの強いアクセント、パキスタンやインドの移住民の強い訛りも理解しづらいです。

流暢なクイーンズイングリッシュは一体どこに?と思うほど、日本で聞いていたきれいな英語は聞けませんでした(笑)

空き家でのシェアハウス生活

その後、当時ロンドンでは一番危ないと言われていたブリクストン(Brixton)に移り住みました。

この地区は黒人のジャマイカンとアフリカンが多く、日曜の朝になると、あちこちの家からアフリカン音楽やレゲエが大きな音で聞こえてきます。駅近くのブリクストンマーケットはいつもレゲエが流れ、その雰囲気はジャマイカやアフリカでした。
おかげでレゲエやアフリカン音楽も好きになりました。

スクウォット(squat)という、ただで空き家に住む方法を教えてもらい、スクウォッター(squatter)になりました。

当時は無断で空き家に住み着くことが法によって守られてました。鍵を取り替えてしまえば、基本、裁判所を通さないと追い出せないのです。ブリクストンには空き家に住む若者はたくさんいたので、近所の空き家住まいの人たちと知り合い、仲良くなりました。

私はスペイン人と仲良くなり、同居人にはスペイン人が常にいました。おかげで日常会話ぐらいはスペイン語で話せるようになりました。が、もう長い間話してないので、今はかなり忘れてました。残念。

危険地区に住んでましたので、危ないこともいろいろありました。

どの国も同じだと思いますが、短期滞在と、そこで生活をしていくのとは全然違ってきます。
誰もがロンドンは生活していくには厳しいところだと言ってました。

滞在3年目あたりから現実が見え始め、4年目にはこの国が大っ嫌いになりました。
でもまだ日本には帰りたくありません。

そのうち「やっぱりアートがしたい」と思うようになり、アートスクール(芸大)の試験を受けました。1回目は準備不足で落ちましたが、2回目はしっかりポートフォリオを作って合格。ロンドンで基礎コースに1年間通うことになります。
イギリスの芸大は1年間の基礎コースを終了したら、希望者はまた試験を受けて3年間のコースに進みます。私は3年コースにも進みました。

エピソード6につづく

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