この生であなたが生み出すもの

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どこからどこまでが自分?

あなたの人生はこの肉体が終わったら終わりですか?
それともその先も続くと思いますか?

あなたの今の名前と今の肉体を持つ人生は今回限りです。
そう思うと貴重な体験ですね。

あなたは、あなたの家系、家族、国、育った環境、あなたが学んだ思想や哲学などの流れを継いで、今に至ります。それらはあなたが誕生する以前からいろんな人たちによって形作られてきたものです。

あなたはそれを受け継いでいます。

家が商売をしていてあなたが3代目になるなら、あなたはすべてではないにしろ1代目の意志を継いでいます。
あなたが書いた本が後世残るなら、あなたのメッセージはあなたの肉体がなくなった後も残ります。
あなたが何かの創始者で、誰かがあなたの意志を受け継いでいくのなら、あなたの思いは生き続けます。

肉体が滅びても生きている?

ブッダ、キリスト、空海、千利休、レオナルド・ダ・ヴィンチ、モーツァルト、ベートーベン、アインシュタイン、エジソン、スティーブ・ジョブズ、黒澤明、etc.

彼らはすでにこの世にはいないですが、彼らがこの世に生み出したものは今も受け継がれています。有名人でなくも、親の思いを子が受け継いだり、親子、師弟、友人、夫婦など、いろんな関係においてそれは成り立ちます。

それを引き継いでいくのも良し、そこから新しいものを生み出すも良し。
この生であなたが生み出したものはそのまま残ります。

肉体重視のこちら側の世界から見ると、肉体が死んで無くなることはこの世に存在しなくなることです。霊媒師などでない限りは、直接会って話をしたりできません。

ではその人の存在は肉体がすべてだったのでしょうか?
それに「イエス」と答える人は少ないかと思います。

肉体がなくなると、意識もすべて消えてなくなるのか?
肉体は消えても意識は残るのか?

この世界が幻想であり、ひとつの意識から生じているという認識は少しずつ浸透し始めています。とはいえ、私たちの自我は物理次元を認識して過ごしています。

残された者にとっては、死によってますます相手の存在が強調されたり、亡くなって初めて、その人の偉大さがわかることもあります。

肉体がなくなっても、自分が伝えたいと思ったことや、あなたの夢や大志が受け継がれていくなら、あなたは本当に死んだことになるでしょうか?

あなたが肉体オンリーでないのなら、あなたの行い、思想、何からの生きた証は、肉体がなくなった後も生き続けます。

多くの人は自分の血を絶やしたくないと子孫を残します。
これもまた自分の存在の証の一つでしょう。

まったく自分の痕跡を残したくないという人もいます。
それも一つのあり方です。

変化しながら在り続けるのが自然

情報としてはすべてが残り、それは新たな可能性となって変化しながら存在し続けます。自然界の循環はそんな風ですね。
それがまた人の形をとるならば生まれ変わりとか転生と言われるでしょう。

としても、新たに編成されたゲシュタルトは以前と同じではないですし、複数の情報が混ざり合って新たな情報体となります。

何かが形成されるには何かしらの意図があります。それは形成されるもの自身の意図というよりは、網の目のように関わりあう縁起上の関係性の中から生み出されたもの。それを意図と呼んでいいのか微妙なところです。

私の好きな老子の言葉があります。


彼らはそれが当然なことであることを知らないで、正直で正しかった。彼らは愛することや優しいことを知らないで、他人を愛した。彼らは忠実であるということを知らないで、誠実であった。彼らはものを与えたり受け取ったりするような考えなしに他人を助けた。このように彼らの行為は跡を残さなかった。そして、それらの出来事の記録もない。
                        『老子の思想』より


無為の行動はそのものから起きるのであり、意識的にそうしようと思ってしているわけではありません。

生まれた時から無為自然な環境で育つのでないならば、成長過程でいろんな摩擦が起こります。それを純粋な状態にするためにはいろんな経験と智慧がいります。たくさんの意図を生じさせ、透過させてこその話です。

この世界ではそのプロセスが学びとなり、楽しむことができます。

こちらは他の本からの引用ですが、


ホピ・インディアンには、「私」とか「私たち」という言葉はない。彼らは動詞を強調する。彼らは、降水している、とか、愛し合っているというんだ。(中略)「愛し合いが起こっている」といえば、私は単に観察しているだけになる。愛し合いが起きている、というのは、二人の人間が関係している。ひとりは私で、もうひとりは大切な誰かだ。そして起きているのは愛し合いだ。「私」も「それ」もない。愛し合いだけなんだ。その変換の素晴らしさが分かるかな?

    by アミット・ゴスワミ博士  『超次元の成功法則』より


アミット・ゴスワミ博士は物理学の博士で、彼の量子物理学のセミナーは私も行ったことあります。

この話もステキです。この話は、観察者が観測すると粒子になり、そうでないと波の状態にあるという話に通じますね。

愛するというと、通常、男女や親子など、「愛す者/愛される者」と二元性に陥りやすいです。が、動詞になると、それは一つの行為になります。

流れの中に存在する

あなたが個体としてでなく、動詞として存在するとしたら?

「あなた vs 他者」ではなくなり、あなたや他の人を通して「何かが起きている」がある状態。

みんながそんな風に考えれば、人間関係のもめごとが減りそうです。

そこには「あなた」と「私」という分離した関係がありません。
自然界はそのようにして循環しているのでしょうね。

絵を描いたり、何かを作るのに夢中になっている時も「動詞」です。「私」が消えて「描いている/作っている」だけになります。いわゆる、フロー状態。

行為だけが残る時(行為そのものになっている時)は気持ちいいです。

悦月

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