抽象度が上がると世界が変わる

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「抽象度」とは?

「抽象度」という言葉はよく聞くようになりました。

「抽象的」の逆は「具体的」。
具体性が高いほど個別性が出てきます。

「わが家の犬のポチ」は一匹の犬に特定されます。
「マルチーズの犬」といえば、マルチーズと言われる種類の犬がそれにあたります。

「犬」と言うなら、ポメラニアンや柴犬、シェパードなどいろんな種類の犬すべてが含まれます。猫はここには含まれません。猫は別な種類とみなされます。

しかし「四つ足の動物」と言えば、犬も猫も含まれます。
もっと抽象度を上げて「生き物」と言えば、虫や鳥や爬虫類、植物、人間も含まれます。

抽象度によって見える世界が違う

抽象度が上がるほど、個体性は薄れますが、いろんなものが含まれていきます。
抽象度の階段を上がっていくと、見える世界が変わります。

2次元人間がいたとしたら、平面の世界しか知りません。

3次元世界には高さがあります。2次元人には「高さ」の意味がわかりません。
2次元にはその概念がないのですから。

かりに2次元世界で、学者が「3次元には高さがある」と証明したとしましょう。2次元人は「高さってのがあるらしいよ」と想像はしますが、どういうものかはよくわかりません。

3次元に時間をいれると4次元。4次元人の私たちに5次元のことを言われてもよくわからないのと同じです。

3次元から2次元は理解できます。3次元は「平面+高さ」なので、2次元の平面のことはすでに知っていますから。

上の次元から下の次元は理解できますが、下の次元から上の次元は理解不能です。
その理屈が見えません。

あなたの抽象度の上は見えない

あなたの今のセルフイメージはあなたの今のコンフォートゾーンであり、あなたの今の抽象度です。そこから上は見えてません。

「上には上流社会の人がいるんでしょ?」という話ではありません。

抽象度が上がると、こんな世界もあったのか!?と気づきます。

どんな世界であれ、今まで見ていた世界は今までの抽象度から見える世界です。

以前、脳を活性化させるというあるCDを聞いたことがあります。聞いてびっくりしました。自分の脳内にこんな知らない領域があったのか!?と感じました。脳内というか、自分の意識内というか、通常の意識が認知していなかった領域です。

どこに?と言われても、場所が特定できるものではないですが、こんなところにまだ開けたことのない部屋があった…という感じで、自分の意識の未探検なところに気づきました。

話が逸れましたが、面白い体験でした。そんな風に、抽象度が上がると、まったく知らなかった世界に気づきます。

ゴールの抽象度をあげよう

ゴールの抽象度が一気に上がると、今までいた世界とは違うレイヤーの世界を感じます。
こんな世界もあったのか?と。

これは横軸に広がる発見ではなく、縦軸に一段上がる体験です。

今まで行ったことないところに行ったり、したことのないことを体験するのは自分の経験値が広がるという意味で横に広がっている感覚です。

縦軸は、同じ場所、同じことをしていても、見え方がガラリと変わってしまう感覚。抽象度が上がるので、同じところにいても見えるもの、感じることが違ってしまうという体験です。

それは”気づき”でしか起こり得ません。自分で気づいて体感しないとわからないからです。

現状を揺らがせると、抽象度が変わりやすい

「開眼」や「覚醒」という言葉があります。

開眼は、目を開ける、目が開く。
覚醒は、「覚」も「醒」も、目がさめる、目をさます。

言い換えれば、スコトーマがはずれる。
見えてなかったものが見える。

これもまた抽象度がポンと上がる体験です。

どんなことでもいいですが、現状が揺らぐ体験をすると、抽象度が変わりやすくなります。ただし下がる方ではなく、上がる方にゆらぎましょう。

「現状が揺らぐ」とは、今のままではいられないとか、現状が何か大きく変わってしまうかも?という動揺が自分に起きるということです。

こういうゆらぎは意図的に起こせます。
人生を変えたい人は意図的に起こしていきましょう。

漠然さや曖昧さと、抽象度が高いことの違い

抽象度が高くなると具体的ではなくなる分、とらえどころがなくなってきます。しかしそれを漠然さや曖昧さに置き換えないようにしましょう。

「愛だよね〜」「ワンネスだよね〜」「空」「悟り」と雰囲気でわかった気になってしまいます。これは全然抽象度は高くありません。むしろ思考停止です。

「愛」「ワンネス」「空」「悟り」と言うときに、そこに含まれるありとあらゆる縁起による情報を踏まえて発するのであれば、それは抽象度の高い思考によってなされていると言えます。

抽象度の高い世界は言葉では伝わりにくいです。説明でわかるものではないから。
だから師匠と弟子のような関係の中で伝授されていくのでしょうね。

抽象度の階段を上がると、問題の解決法が見える

先ほども書きましたが、抽象度には段階があります。二次元から三次元はわからないように、低い抽象度の領域からは高い抽象度は見えません。

高い抽象度は低い抽象度も包摂しています。高い抽象度から低い抽象度は見えます。

山を登っている最中は頂上は見えませんが、見晴らしのいい頂上に上がれば、下の景色
はよく見えます。

そんな感じです。

抽象度の階段を上がると、問題の解決法が見えます。

AさんとBさんがケンカしている時、AさんとBさんは同じ抽象度レベルにいます。お互いが自分の言い分を主張し、なんでわからないんだ?と相手に苛立ちます。

そこに、Cさんがやってきて、「〇〇したらいいんじゃない?」と2人が納得する案を出したとします。AさんとBさん、どちらにも損がなく、メリットがある案です。

そうしたら、AさんとBさんがケンカする理由がなくなります。

Cさんは当事者ではなく、第三者視点です。Aさん、Bさんよりも抽象度の高い視点から何が起こっているかが見えて、違う観点から提案できたわけです。

理性的思考ではひらめきは起こりにくい

ひらめきは、今より高い抽象度の視点を得ることで起こります。

自分の悩みや考え事にしても、今までの自分の経験や知識から解決法を考えているとしたら、新しいひらめきは起こりません。なぜならすでに知っているデータから解決法を見つけようとしているからです。

ひらめきやインスピレーションはすでに知っていることからは起こりません。今までになかった結びつき方をするから、新しいアイデアとしてひらめきます。

その素材はすでに持っていますが、それをどう使うか、どう組み合わせるか?が今までにないまったく新しい発想なのです。

「エウリカ!」あるいは「アハ体験」をすると、抽象度が上がります。今まで思いつかなかったことを思いつくので視野が広がります。

悩みの多い人は抽象度が低い

日常の諸々に悩んでいる人は抽象度が低いと言えます。
目の前の人間関係、金銭的な問題、仕事、健康など近視的に見ています。

今、失敗だと思えることが必ずしも悪いことか?というとそうだとは言えません。
失敗だと思っているだけで、それが成功につながっていく可能性もあります。

今、お金がないからといって、10年後も貧乏か?というとわかりません。
今、貧乏を味わっているからこそ、10年後には金持ちになっていることだってあります。

目の前のことに一喜一憂していると、「誰かに何かを言われた」とくよくよしたり、「あの人は性に合わん」とイライラしたり、身近なことで振り回されます。

もし抽象度の高い意識でいれば、「あの人はそんな風に思っているのか、いろんな考え方があるのだなあ」と思ったり、「人は千差万別だから、私と合わない人がいて当然だろう。」「私があの人に苛立つのは、私の価値観に反することをいつもするからだ。ところで、私のこの価値観は本当にこれでいいのだろうか?」と自分を見直すきっかけにしたりします。

面と向かって直球でキャッチボールをするのではなく、モニターを見て「へえー、そうなんだ」と見ている感じです。

抽象度が高い人はコンフォートゾーンも広いです。

悩みが多い人はコンフォートゾーンが狭いし、抽象度も低いです。
視野が狭く、自分が安心できる領域が小さいです。

自分が安心できる領域(コンフォートゾーン)が狭いということは、安心できない居心地が悪い領域が広いことになります。自分にとっての安全地帯が少なければ、ストレスや摩擦が起きやすくなります。

抽象度が高い人と、これもあれもありだよねーと受け止めれるのでストレスは少ないです。
しかし、なんでもオッケーすればいいわけではありません。

抽象度が高いと選択肢も増える

24色クレヨンがあるとします。

どの色もあっていいし、認めるけど、私は赤が嫌い、青が好き。
というように、存在は受け入れるけど、それに同意しなくてもいいわけです。

「赤は嫌いだけど、青は好き」と自分の意見を持つことに問題はありません。

抽象度が低いと、見える色の数が少なくなります。その色だけでどうにかしようと思うので、視野が狭くなります。

たくさんの色が見えている人(抽象度が高い人)は「違う色も使えば?」と思います。

しかし、一色しか見えてない人は、その色ばかりを見ています。
悩み多き人はそのような視点を持っています。

この色を「視点」と思えば、24視点を持つ人と、1視点だけ持つ人とでは、24視点を持つ人の方がいろんな受け取り方や対応ができます。

悩んでいる人は一本のクレヨンを握りしめて、このクレヨンはああだこうだと言っているようなものです。

そのクレヨンは一色なんで、その色しか出ないんです。その色で他の色を出そうとしたり、他の色が出ないって悩まれても、、、

ということですね。

一色しかないと思っていたところに、「他の色もある」とひらめいたのなら、それは大きな気づきです。

自分にクォンタム・リープを起こそう!

ヘレン・ケラーが水に触れている時、サリバン先生が彼女の手のひらに「water」と繰り返し書きました。その時、ヘレンは、サリバン先生が自分の手のひらに書く文字と、手のひらに当たる水との関連性に初めて気づいてハッとしました。

これは一気に抽象度が上がった瞬間ですね。

物には名前がある。
言葉はその物を表す。

混沌とし、漠然とした世界だったのが、その仕組みと関係性に気づいたことで、一瞬にしてその姿形を変えました。感動の瞬間です。

大きな気づきを得る時は抽象度が上がった時と言えます。

抽象度が上がると、同じものを見ていても見え方が違ってきます。
見える世界が変わります。クォンタムリープですね。

悦月(えつき)

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