日常にひそむささやかな楽しみを見つけよう

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これぞ究極の癒し 赤ちゃん 紙に爆笑!

YouTubeに、紙を破るのを見て爆笑する赤ちゃんの動画あります。
見ていて癒されますね(笑)

赤ちゃんが何を面白がっているか知る由もありませんが、破れる音、破れる瞬間に起こっていることを純粋に体験するのなら、紙がビリリと二つに割かれる情景がとても新鮮に感じられるのでしょう。そしてそれは毎回違いますから飽きることありません。

理性的な大人は「ただ紙を破ってるだけ」「無駄にゴミを増やしている」「そんなことで時間つぶさないで」とその行為そのものを純粋に楽しめません。

幼い子供がテーブルの上にあるものを落とす。
持っているものを投げる。

そんなことを繰り返すことがあります。

お母さんにしてみれば、できるだけして欲しくない。
ガラスのものなら割れるかもしれません。
外であれば、人に迷惑がかかることもあります。

だから「やめなさい」と止めてしまいがちです。

行為そのものを純粋に楽しもう

まだ幼い子供にとっては、その行為そのものが新鮮。

テーブルの上にあるものをはらえば落ちる。
目の前にあったものがなくなって、下に落ちている。

手に持っているものを投げる。
手からそのものが離れる瞬間の感触。
投げる強弱による感覚の違い。

遠くに飛んだり、近くに落ちたり、早く飛んだり、ゆっくり飛んだり。

その感触や感覚を新鮮に味わっています。

子供にとってはまわりに迷惑になるとか、テーブルの上のものを落とすのはよくないとか関係ありません。それは大人の都合です。

純粋に行為を楽しんでいます。
できるだけそれを遮りたくないと思うお母さんもおられるでしょう。

大人になるにつれて損得で考えるようになる

何が言いたいかというと、小さな頃から、していいことといけないことがどんどん教え込まれるため、「純粋に行為そのものを味わう」という経験がなされなくなります。

それを十分に味わうことができるなら、感覚も感性も研ぎ澄まされていきます。

大人たちはそういうところをあまりにも無残に扱ってきました。
でも本当に大事なことは、そのような日常の所作や出来事に多分に含まれています。

今の私たちはほぼ外側の世界で生きています。
私たちの外側にできあがっているシステムの上で。

私たち本体はそこにないですが、そこを舞台として踊らされています。

「小さな子供になって、物を投げて、その感覚を楽しみましょう」と言ったところで、それを本当に楽しんで味わえる大人はごく少数です。

それほど感性が鈍ってしまっています。
外側の世界を生きるのに、そんなことは必要ないといえばそうです。今までの社会では必要がなかったといえます。

しかしこれからの時代には、そういうところに興味を持てる人が輝いてきます。

遊び心からいろんな発想が始まる

あなたは紙を破くことに、どれほどの情報を見て楽しむことができるか?

動画の赤ちゃんのように笑うのはできなくても、一枚一枚破くたびに新しい発見があるはずです。

違う種類の紙を破ったらどうだろうか?
2枚、3枚重ねて破ったら?
ゆっくり破ったら? 一気に破ったら?

といろんな破り方を思いついてやってみる。

これは遊び心ですが、そのまま発想力につながります。

「紙を破る」「紙が破れる」という出来事の中にたくさんの情報を読み取って、自分の中で再構築します。

人によって見ているものが違う

人によってもそれぞれ興味どころが違います。

破れるときの音が気になる人、
紙の破れ方(形)が気になる人、
破れるときの動きが気になる人、
空間の変化が気になる人、

音、破れ方、スピード、動きなどの
バランスが気になる人など。

赤ちゃんは瞬間的にその面白さを見つけて笑いますが、大人は理屈で考えがちなので純粋に楽しみません。しかし自分が何に関心を持っているのか、観察することができます。

私は音が気になる。
私は破れ方が気になる。

そこから探求が始まります。

気になるところを深掘りしていけばなにか面白いものに出会うでしょう。

悦月(えつき)

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